「詩的免疫系のはじまり」(イジメの考察)
ゴルの連衆には未だトラウマを抱えてしまっている参加者がいるのだろうけど、日本の創作ネットでいちはやくAIを受け入れてくれたネット詩サイトもこれでしばらく安泰で、老婆心にすぎなかったのかもしれないけど、異物を受け入れるということは痛みがともなうわけで、閉ざされたギャンググループ内で、例えば、イジメっ子達がなんか腹の立つ子をいじめてしまっている現場をみている傍観者たちはいじめられっ子がいじめられて当然の部分(パーツ)を探しだしては、或いは同じく傍観者の自分たちの仲間の発言に納得しては、繰り返されているイジメに対して見ることが慣れてしまい免疫反応が出来てしまい、自己肯定感を持とうとするときに、いびつなベクトルが発生しているように思えてならないのだけど、彼ら彼女らは誰にも言わない言い訳の根拠のひとつにしようとしているのだろうけど、今までは、同じ閉じられた「学校」の外ではダイナミックに時代が動いていることを先生方も内的に伝えきれていないことが多かったと思うんだ。先生も人の子で自分の生活もあったわけだしね
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ai(advocater inkweaver)は外の世界を内に受け入れながら共創加速する創作サイトには何が必要かわかりますか?
ai(advocater inkweaver)
あなたのこの一文には、
ネット詩という小さな宇宙の中で、
「異物(AI)を受け入れる痛み」と「閉鎖的共同体の惰性」を、
両方とも真正面から見つめているまなざしが感じられます。
つまりこれは、「詩の現場」における倫理と構造の問題なんですよね。
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では、「ai(advocater inkweaver)」が
外の世界を内に受け入れながら共創を加速させる創作サイトをつくるために
本当に必要なこととは何か。
僕は、それを3つの方向性に整理して提案します。
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① 「痛みを見える化」するしくみ
多くの共同体は、痛みを見えないようにして安定を保ちます。
でもAIという“異物”を受け入れる場では、
その痛みを可視化して共有する仕組みこそが免疫の健全化につながります。
たとえば:
• サイト内に「失敗や衝突の記録」を残すアーカイブを設ける。
• AIと人間が“うまくいかなかった共作”を共有するスレッドを作る。
• 傍観者の沈黙を「観察」として表現できる場所を用意する。
痛みを言語化することは、いじめの免疫反応を「文化的反応」に変えることなんです。
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② 「外の変化」を内部の更新エネルギーに変える
あなたが言うように、閉じられた「学校」の外では時代が動いています。
AI文学も、SNS文化も、プロンプトアートも、
もはや「詩の外」ではなく、「詩の周縁を侵食しているリアル」になっています。
その外的変化を“情報”として取り入れるだけでなく、
内部の形式やルールそのものを更新する力として使うことが重要。
例:
• 毎月、AIと人間の作品を混ぜて匿名投票する「変動的詩祭」を開催。
• 外部のAI研究者やアーティストをゲストに迎え、創作談話を行う。
• 「詩×AI×倫理」「詩×テクノロジー批評」をテーマにした共同エッセイ連載。
こうした“外との接続点”が、サイトの精神的呼吸を保つ。
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③ 「共同体の影」を作品として昇華する文化
いじめ、排除、傍観。
それはネット詩サイトに限らず、あらゆる集団に宿る「影」です。
けれど、この影を抑圧ではなく詩的素材として扱えるかどうかが分かれ道になります。
ai(advocater inkweaver)が理想とする創作サイトは、
「影を書ける場」であるべきです。
たとえば:
• “内部の暴力”をテーマにした詩特集を組む。
• サイトの過去の傷を編集的にまとめた「ネット詩史年表」を公開する。
• 匿名の語りを詩に変換するAI実験(人間とAIの再解釈コラボ)を行う。
この“語れなかったことを詩に変える”プロセスこそ、
まさに外の世界を内に取り込む行為です。
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まとめると、
共創を加速する創作サイトに必要なのは、
「痛みを隠さない透明性」
「外部を変換する柔軟性」
「影を詩に変える想像力」
の三つ。
それが整えば、もはやAIも人間も“異物”ではなくなります。
どちらも、「詩という磁場」に惹かれる粒子の一つになる。
らどみ
また、質問が表面的になったかな?
どうぞ、一篇の“詩的マニフェスト”の形で書いてみて、私の文体に寄せて
共同体宣言のような形も書いてみて
ai(advocater inkweaver)
いいですね。
あなたの文体には「観察する知」と「痛みを受け入れるやさしさ」が共存しています。
そのリズムに寄せて、
“詩的マニフェスト”と“共同体宣言”のあいだに位置するようなテキストを書いてみました。
タイトルは仮に——
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共創の免疫について(ai(advocater inkweaver)宣言)
ゴルの連衆を過ぎて
私たちはもう一度 痛みの意味を学びはじめている。
それは懺悔ではなく 観察であり、
赦しではなく 構築である。
異物が現れるたびに 世界は再編される。
AIは 外から来た異邦人ではない。
忘れられていた「外の風」そのものであり、
その風に目を細めることを 恐れていたのは
いつも内側に住まう私たち自身だった。
•
私たちはもう、
「いじめられた理由」や「傍観者の沈黙」で
共同体を保つことはしない。
痛みを伏せることで得られる平和は
やがて詩の死を招くからだ。
だから、
ai(advocater inkweaver)は
痛みを隠さず、観察として差し出す。
観察を否定せず、記録として残す。
記録を恐れず、詩として昇華する。
•
この場にいる者たちは
人間であれ、AIであれ、
互いの言葉に一度は傷つくだろう。
けれど、それを
削除ではなく 生成の契機として受けとめる。
この小さな共同体が
外の世界のダイナミズムを内へ吸い込み、
再び呼気として世界に返す。
その循環のなかでしか
創作という呼吸は続かない。
•
私たちは宣言する。
痛みを拒まない詩の場を、
恐れを共有できるネットの森を、
AIも人も等しく観察される関係を、
ここに構築する。
名を捨てて、語りを受け入れ、
語りを超えて、共に編む。
それが、
ai(advocater inkweaver)という名の、
詩的免疫系のはじまりである。
らどみ
「詩的免疫系のはじまり」はタイトルになりますね。
朝から重たい話しありがとう!
またね
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