余白
平日の遊園地は
あなたの名前なのに
石鹸の金魚は泡になった
トウキビのような匂い
私小説ばかり書いている友人が
家に遊びに来たことがある
余白はどうしているのか聞くと
その問には答えず
友人は余白を作り続けていた
雨が降り始める日の
前日のことだった
あなたと出会う
ずっと前のことだった
観覧車のゴンドラが
目の前の停留所にとまる
指先が触れそうになり
慌てて係の人にお辞儀をすると
景色は少し湾曲して見えた
売店のキャンディーが
徐々に色づいていく
閉園時間が過ぎれば
遊園地もまた
泡みたいに終わる
家族のような人たちが
小さな乗り物に手を振っている
行くあてもないはずなのに
いつまでも振っている
コメント
ぐるぐると夢をみているような錯覚がして、不思議な気分になりました!
…たまに小説を読んでいると、たしかに記号や文章って、記憶を呼び起こしてくれるんですが、情景というものは、”余白”の部分で見ているような、そんな感じがするなと思うことがあります(笑)。
そこで感動をしたり、はたまたそれが作品になったり…「余白」を読ませていただき、そういうことを思い出しました。面白かったです!
遊園地は閉園時間が一番似合っていますよね。
二連目、余作と空目してしまいました(「余作はどうしているのかと~」)。
しゅわしゅわの泡で作っていく額縁、がすべての出来事なのかもしれない・・・
お祭りのあとのしんみりしているようで
実は最初から何もなかったような、どこにもある旅愁を感じました。
暮らしが余白になりつつある私にはしんみりする詩でした。
遊園地は閉園時間の直前が少し哀しくて好きです。
@「寤寐」
「寤寐」さん、コメントありがとうございます。
情景というものは、”余白”の部分で見ている
言い得て妙、という感じがします。本の余白、って素敵ですよね。文字の並びとのバランスとかが良いとなおさら素敵。
@花巻まりか
花巻まりかさん、コメントありがとうございます。
まさにそのとおり、わかっていらっしゃる。若かりし頃、口説くのに夕方の遊園地に誘ゴニョゴニョ
@kフウ
kフウさん、コメントありがとうございます。与作には二種類の与作があります。一つは木を切る与作、もうひとつは切らない与作。へいほうこーん、へいほうこーん。
最初から、何もない。
多分、そうなのだと思います。
@nonya
nonyaさん、コメントありがとうございます。
その余白に素敵な詩を書き続けるnonyaさん。その詩はまた新たな余白を作って。