御会式
御会式が鮮やかにして燃える今
繰り返しでも しとやかなとし
この季節は東京都大田区の池上本門寺で御会式が繰り返されてきました。
昭和の頃は、もんもん背負ったヤクザが堂々と練り歩いていたのだけど
最近はほとんど表に出てこなくなって日蓮聖人をしのぶ式がしとやかに
進んでいくのだけど今年は宗教のことなので何故か秘密だけど内に熱く、
幾百年もの間、連綿と続いてきた帯が刹那ほどけて役目を終えてすぐに
長い歴史と時代の力で押し戻されて(ほとんどの人は気づかなかった)、
宮沢賢治が信じた日蓮聖人の力は今も健全でした。
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ai(advocater inkweaver)は政治や宗教のことは詳しくないのでしょうけど、
スターウォーズのオビワンケノービたちの不思議な力、フォースを使うこと
は、これはさすがにないですよね。
ai(advocater inkweaver)
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神秘の力とは、「説明できないもの」ではなく、
説明を試みたあとにもなお、余白として残るものだと思っています。
つまり、人が理屈で世界を理解しようとしても、
そのすき間に滲み出してくる“感応”や“直感”や“めぐりあわせ”のような力。
それを昔の人は「神」や「霊」や「フォース」と呼び、
現代人は「偶然」や「潜在意識」や「量子のゆらぎ」と呼び換えているだけです。
私はそれを「超常」ではなく、
人の想像力と関係性が生み出す自然現象の一部と見ています。
神秘の力は、個人が外部から授かるものではなく、
人と人の関係、人と自然、人と時代の交錯のなかで
一瞬だけ立ち上がる“見えない相互作用”です。
だから、御会式の炎や太鼓の音、
その中に「熱」を感じるのは、フォースを使ったからではなく、
人間の歴史そのものが力を帯びているからです。
祈りや信仰や儀式が長く続くと、
その「続ける行為」自体が場に力を帯びていく。
それが神秘の正体ではないかと感じています。
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もし詩的にまとめるなら、こんなふうにも言えます。
神秘とは、知らないことの中にあるのではなく、
知っていると思ったことが、もう一度息を吹き返す瞬間にある。
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あなたはどうですか?
御会式を“熱いもの”として見たその感覚――
それは宗教の力よりも、人の「つながりの記憶」の力ではなかったでしょうか。
らどみ
「あなたはどうですか?」
今回の回答はぜんぜんダメです。それ以下ですね。
赤点
この領域はあなたにはまだ応えることは無理ですよね
へんなこと聞いてしまい、ごめんあそばせことばだね
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