狂子の部屋
まだ18の子娘を相手に圧倒的な知性や経験値を持ち卓抜する語彙を弄する大人が狂子の知的好奇心を犯したのだと話に聞いて知性が人のM性を開花させることもあるのだということをオレはその時初めて知ったがオレが以前から好きだったギムレットをそいつも好きだったと聞いてからオレは一切それを飲まなくなった
独楽がぐるぐる回って描かれた模様が生き物みたいに動き出すように同年代の研ぎ澄まされた繊細な感性に呼応しながらも彼との関係性を保ったまま次の興味の矛先として対角線上に浮上したのがオレだったがその日狂子の部屋を訪れる直前までどうも彼はそこにいたようであったということにオレが気づいていたことを狂子は知らなかった
かく言うオレもバイト先の年上の優男と付き合っているらしい同年女子の小悪魔みたいなところに魅せられてどうにかならないものかと展開を占いながら結局その日に狂子と事に及んだものの形式上はそういう文脈ではなかったはずなので避妊具の場違いさだけが狂子の部屋で際立っていたがふたりはそれを完全に無視した
ホテルの部屋から9番をダイヤルしてプールが何時まで開いているのかを確認したオレを残してちょっとあたしペリエ買って来ると言って出かけた先でインド系シンガポーリアンがあたしに向かって口笛を吹いてウィンクしやがったのと狂子はひどく腹を立ててオレのもとに帰ってきたのだが聞き慣れないフェミニズムの精神性に戸惑いながらもオレは黙って狂子の肩を抱いていた
オレらには当時共通の知り合いがいてこれは狂子が日記に綴っていたことだがある一時期のオレらは互いに領域を侵すことなく狂子のカラダをシェアする生活をしていたことがありこれは後日直接狂子の口から聞いたことだが狂子は何度も何度も一気に昇り詰めるタイプの快感といつ果てるとも知れぬギリギリをずっと耐え続けるタイプの快感を天秤にかけてある種器用に味わい分けていた
西京極の運動公園にあるベンチに腰掛けていると狂子はおもむろに立ち上がり視線の先にあった噴水に向かって歩き始め躊躇なくオレの目の前で水に浸かってバシャバシャと飛沫を立てて急にそんな気分になったのと笑った日からほどなくして長かった髪をバッサリ切って当時上映されていたラン・ローラ・ランのヒロインみたいな赤毛になった
あの頃オレらはことあるごとに酒を飲み煙草を吸っていたしとりわけ事を終えた後にベランダに面した網戸を開けてふたり横に並んで腰を下ろしてローリーと呼んでいた巻き煙草の袋に鼻を当てて思いっきり息を吸い込んでから葉っぱを少し摘まんで上手に巻いた仕上げに狂子は薄い紙の端が半透明になるほど舌でスーっと濡らす仕草の延長線上にまたオレの舌へと滑り込んで来たりした
何もかもが変わってしまったような現在で狂子だけは変わっていないそんな気がするのはオレの錯覚かも知れないがそれを確かめるためだけにでも何も言わずに狂子の部屋を訪れてみたいしあの頃みたいに狂子が出ていった部屋にひとり残って狂子の見ていた世界が一体どんな色や形をしていたのかを確認するように溢れ出すほどに押し込められた書棚の本を貪るように読んでいたい
コメント
とても好きだなこれ。なぜだか急に曲をつけて中山ラビにギター弾き語りで歌って欲しいと思った。共通するものを感じたんだと思う。
@たかぼ
さん、コメントありがとうございます。
たかぼさんから「とても好きだな」を頂いちゃったりしたら嬉しくなっちゃうなー。
中山ラビさん、ヘビロテしてみます!
いやー、僕はベタですが井上陽水の『最後のニュース』にあるような早口弾き語りをイメージして読みました。
意味を追って物語としても筋が通っているし、早口や音の響きを楽しむ朗読としても楽しい一作ですね。才能が狂い咲きしていて正に狂子してました。
官能が、流れるような文体で表現されていますね。その流れ方に緊張感が出ていて、理知的な雰囲気もあります。…ひとつの物語としておさまっているところも、いいな。
@荒川濁流
さん、コメントありがとうございます。
一文詩的なものを8つ集めた形になったので、一気読みしてもらえると嬉しいです。
@長谷川 忍
さん、コメントありがとうございます。
こちらも自分では一文詩のスタイルのバリエーションを模索した作品と位置付けております。舞台となっているあの頃は官能も理知も溢れていたのでしょうかね、過去を綺麗に回顧して脚色しまくるとこんなのが生まれるんですかねー
村上龍を思わせます。きっと面白い時代を生きたんだろうなあ…
ラン・ローラ・ラン懐かしいです。
こんなふうに誰かの記憶を刺激する作品ですね。
色彩としては恋する惑星やリックベッソンのあれやこれやを思い出します。
こんなの書いてみたいです。