結論を留保せよ
その昔、小学校の職員室でしか見たことのないような、戦後進駐軍が持ち込んだと言われるセンター抽斗と袖ワゴンが付いた鼠色したいわゆるスチールデスクがせせこましく並ぶ小さなオフィスで女がより若い女と会話をしていた最中若い方が何を口ごたえしたのかそれに食い気味に「でもじゃない!」とヒステリックに叫んだ声がアコースティックに反響し狭いオフィスが文字通り水を打った以上にピキリと凍りついた。という夢を見た。という安っぽい夢オチはあまりに恥ずかしいと五流作家の私でさえ思ったのであった。というインタビューを何処かで読んだ気がする。がそれが何処であったのかまったく思い出せない。というのはよくある話です。とは言え何もそれが加齢による記憶力の低下などとはさほど関係はないと思いますよ。と目の前の精神科医が言うのを果たしてまともに受け取って良いものか。ただ単に慰められているのか。あるいはそんなくだらない話でここに来るんじゃないよ、こっちは先の先まで予約で一杯で新規はお断りしてるくらいなんだから。とでも言いたい気持ちを単にオブラートに包んだだけなのか。などと実際には何も言われてない内から人の心を勘繰ったところで事態が変化するわけではない。のだからやはり集中すべきは今ここ、なのだ。ということになるのだろう。とここまで言いかけてこれは確かジョブズなんかも心酔していたニューエイジ思想にも通ずるところでもある。と気づいた私に今言えることは、未来は今。時間なんてただの概念であって実際には今しかないのだ。今が連綿と続いてきたし続いて行くだけなのだ。と言い切ってしまうことの方が何やらああでもないこうでもないと不安を抱えて迷い迷っているうちにすっかり歳をとってしまった。なんてことになりかねない。し、その方がずっと健全だよね。と誰かがそんなことを言う。のを聞いたことがある。と改めて頭に浮かんでくる。のはいずれにしても私の中にそれだけの知の蓄えができている。ということの証左でもある。などと手前味噌な口ぶりは他人から良しとはされないだろう。ことを念頭に置いて人とのコミュニケーションというものを常々メタ認知的に振り返られるようにしておく。のはとても良いことだ。と思う一方で常にそういうものの見方をしてしまうことによって逆に今ここの現場感や臨場感や熱量のようなものから遠ざかってしまう。ということもあり得る。ような気がする。というのもよく聞かれる話ではある。ので要はどちらが良い悪いではない。ということでいずれもバランスの問題だ。ということなのだろう。それが中道や陰陽、和合、本当の意味でのD&Iみたいなことなのかも知れない。なんていつまで続くのかわからない。ような文章はもうここらへんで読むのをやめたい。とみんな思ったでしょう?でもね。でもじゃない!
コメント
でもじゃない、が伏線になるというオチにもやられました。
前作に引き続き、たっぷりと堪能しましたが、読み返すとまた面白い発見があります。
@たかぼ
さん、コメントありがとうございます。
もう終わらせ方はコレしかないな、と。
@たけだたもつ
さん、コメントありがとうございます。
長ったらしいの読んでくれて感謝です。
最後の、でもじゃない、に「」を付けるか悩みましたが、無しにしました。