そして私に至った ※(音楽付き)
手と手をつなぎ
手と手をはなす
こころと
こころは
終わることで満たされる。ああ
永遠
の
命があるとしたらそれは
絶望です。
それぞれの終りがあるから
がんばることができるのです
ある意味
そうでしょ?
そうだ。
宇宙を生んだのは何かだ
その何かを生んだのは何か。けれど
始まったから
今がある
そして私に至った
こころはいつも飢えている
なぜならば
宇宙の原初から
この魂は欠けているからだ
だから命は
何かを求め続ける
ゆえに、足るを知りたい。
それでも足りない何かを
探す
私は私を
見つけて時々
ちいさく(あっ)と鳴くのであります
※ AIのSunoさんが 曲を付けて 歌ってくれました。
https://suno.com/s/i266kCF886td2rjt 詩 こしごえ 音楽 Suno
コメント
永遠
の
命があるとしたらそれは
絶望です。
それぞれの終りがあるから
がんばることができるのです
ここ、いいですね。命は永遠ではないから、…そこに生きる本質があるのかもしれません。…終わりがあって、始まりが見えてくる。
私も同じところに惹かれました。
永遠はロマンティックでもあり絶望でもありますね。終わりが見えない時、人は鬱にもなりやすいのです。
@長谷川 忍 さん コメントを ありがとうございます♪
長谷川さんが、そこに注目してくれて、ありがたいです。
終りにも、いろいろとありますよね。一日の終り、一週間の終りとか、あと、一つの仕事の終りとか、冬の終りとかね。
何事にも言えること かもしれませんが、終りと始まりも、バランスが大事なんだろうと、今の今、ふと思いました。ふふ。
@あぶくも さん ありがとうございます♪
おぶくもさんも、長谷川さんと同じ所にひかれたとのこと、ありがたいです。
永遠に終りが無い、というのは、私にとっては、絶望です。なので、人生で言えば、私にとっては、死が、必ず訪れる、絶対的な 希望なんです。自殺は、したくはありません。でも、死は、この世の苦しみからの解放だ、私にとってはですね。だから、生きて行けるのです。
本音で ハッキリ言って、自殺出来ないから、惰性で 生きている「部分」も(も)あります。
夢は、たくさん叶ったし、今は、特にやりたいことも無い。思いのこすことは、特には無いんです。なので、いつ死んでもいいとさえ思ってる。今の夢は、将来、その時が来たらですが、ある施設に入居すること。それをこころの支えにして、毎日、「自分なりに」がんばって生きています。ふふ。
でも、詩も、こころの支えですね。詩を書いて、発表して、それを読んでくれる人が居てくれる。これは、やめられないかも。読者の存在が、とてもありがたい。^^
一日の終りの寝る直前、私は、ふとんの中で、手を合わし目をつむり、みんなへお礼をつぶやきます。「神さん、仏さん、皆様、みんな、ありがとうさま、今日も一日 ありがとうございました。今日も、こうして、お休みできます。みんな ありがとうさま、おやすみ、またね。」と(この言葉は、もう10年位以上、毎夜、欠かさないでいます。)。
こうして、一日の終りに、気持ちなどを リセットしているのかもしれません。
母から聞いた話ですが、母方の祖母の口ぐせは、「明日は明日の風が吹かあ!」ということだったとのこと。あしたのことは、またあした。今日 出来なかったことは、明日 出来る可能性がある、などと思い、時々、この祖母の口ぐせを思う時もあります。うん。^^
>それぞれの終りがあるから
>がんばることができるのです
このフレーズがとても印象的でした。
わたしに至る、という意識の持ち方が
とても清々しくて、いいなと思いました。
本当に、足るを知らなければなりません。
@nonya さん ありがとうございます♪
終わらない物事は、絶望だと思うんです。一つ一つが終わるから、また歩いて行ける。
そうなんですよねぇ。私に至る。宇宙が生まれて始まってから、現在の私に至るんですよね。
足るを知る、というのは、時々思うことです。
まあ、大道すたれて仁義あり、という言葉の通り、廊下を走る奴が居るから「廊下を走るな!」という校則ができる。初めから そのことが出来ていれば、決まり事を作る必要は無いんですよね。
つまり、私は欲が深い奴なんですよ。だから、あえて、足るを知る、と言わないとならない、ということですね。ふふ。