深緑

住み慣れた街の
見知らぬ路地に
ふと足を踏み入れ
いつしか道に迷い
深い森の中に潜り込んでしまって
そのまま帰れなくなった男の話を知っているか

つまり 僕のことだ

ぼんやり歩いていただけだった
何か有意義な思慮があったわけでも
くだならい日常から逃れようとしたわけでもない
気付いたら周囲には鬱蒼と生い茂る木々
湿った土のにおいと静謐な空気
無機質なもので溢れ返った都市の形は既になく
グロテスクなまでに緑の風景が広がり
見上げても折り重なった枝葉
霞がかった空の欠片が覗くばかり
冷たい風が一筋通るたび
垂れ落ちた雫が背中を滑り
居心地の悪さを感じるというのに
戻ろうとも思わずに
ひたすら草を分けて進んでいくのは
そこにわずかな好奇心を秘めていたからだと思う

なんや、来てくれたんか
先日死んだ父の声がして振り返ると
真っ黒な牛の姿の影がぼんやりと佇んでいて
赤い瞳が暗がりの中で光っている
僕はどこかでそれを予想していたようだった
またこうして会えたんは嬉しいけどな
 この森に生者は似合わんで

僕は父が嫌いだった
傲慢で無鉄砲な人だったから
身勝手に生きた結果として癌を患って
最期は苦しみながら死んだ
僕は亡骸に向かって
ざまあみろと呟いたくらいで
今更会いたいとも思わなかった
だが不躾な森はそんな事情もお構いなしに
うんざりするほど美しく燃え上がりながら
亡者を召喚するのだった

そして僕はいつの間にか
泥濘にはまって抜け出せなくなっていて
身じろぎするほど余計に沈んでいき
黒い牛の父の残像が消え失せる中
僕はすべてを諦めてしまって
小さく囁くように叫び
物語を終えた

[TONOMOTOSHO Rebirth Project No.087: Title by 唄乃聖歌]

投稿者

大阪府

コメント

  1. 思えば遠くへきたもんだ(sigh)
    宇宙はすべてどこか離れられない部分につながっている。この詩が好きだな。

  2. いいですね~。幻想的な風景を眼に浮かべながら、いろいろ考えてしまいます。詩の題材が死だけに。でも余計なことを考えずにこの詩を楽しんでしまえばいいんだと思う。

  3. 死ぬ、ということは どういうことなのでしょうか。肉体を失ったから死んだ、と考えるのは悲しい。
    でも、この詩(物語)では、(亡者の)父が出てくる。
    この詩の最初から最後まで作者の視線が優しく感じられて私もこの詩が好きです。

  4. この味わい深さは何だろう。イメージの喚起で読ませる、読まれるための詩だなと感じます。いつものトノモトショウさんのソリッドなクールさと対極にあるように感じながら、こちらもかなり好きだなぁ。

  5. ごくたまに、異界に迷い込んでしまうこと、あります。現実の狭間で、深夜の夢の奥底で…。死者というのは、意外と、生きている人の傍らに潜んでいて、ふっと姿を現す。それで、私もとまどってしまいます。しがらみのあった方なら、尚のこと。

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