しんり
渋谷、六本木、新宿、恵比寿、池袋、銀座、秋葉原、浅草、上野、
吉祥寺や高円寺に下北沢、、、
こんなトーキョーみたいな街は世界中どこを探したってないんだよ
いいかい、君
そして僕たちはどんなに足掻いたって
結局どこにも繋がれない
居場所がないから探すんだろうし
寂しいから触れ合ってるだろう
その愚かさ、悲しさ、可笑しさこそが
ここで生きていくってことなんじゃないのかな
なんて最近思うんだよね
と
千住の永見で隣り合わせた客たち、
ホセ、グエン、ソムチャイ、ムハンマド、ヤンの五人組、
が話しているのを
彼は五月蝿そうに聞いていた
実際話していたのはホセだけで
残り四人は彼と同じく聞いていた
また残り四人の名前は単なる彼の想像であった
ホセはホセだっただろう
コメント
結局どこにも繋がれない
ここが痛くて、ずんっと来ます。
何年か前に、「ああ」という詩を書きました。
そこには、「「あ」、と言われて、それぞれの人が、全く同じ「あ」を受け取れない。だから、それぞれの人は、孤独だ」と「いうような」ことを書きました。
うん。永遠の孤独か。でも、人が科学によって、テレパシーみたいのが使えるようになるかもしれないんですよね。今、そういう研究などがされていると、某NHKで、何年も前に言ってました。
そうなるとどうなるか。少し、少し こわい 気もしないでもない。うん。^^
海外から来る人たち以外にも、たとえば地方から上京してくる人たちにとっても、東京は、そんな街なのかな、と思います。街の個々はそれぞれに興味深い場所なのですが、東京としてひとまとめになると、そんな感じなのかな。
余談ですが、千住の永見は、よく飲みに行きます。隣にある串揚げの天七も…。(^^)
@こしごえ
さん、コメントありがとうございます。
どこにも繋がれない感については、良いか悪いかは別として、意外と若い頃から私本人はそれを楽しんでいるようなところがあります。つまり、どこにいても旅人みたいな、よそ者ですね。
@長谷川 忍
さん、コメントありがとうございます。
私も上京組なのでおっしゃる通りなのですが、そもそもじゃあ地元はどうなのかと問うと、地元すら繋がれてる感なんてないんですよね…これはもはや街や場所の問題でもなくて完全にこっち側の問題なんだと言う…でも、悲しさはさほどないのが面白いところでして。
永見は過去に一日に二回訪れたことがあります(15時の一軒目と何時か記憶のない四軒目で 笑)
洒落てる!って思いました。
二連目が好きなんです、さりげなく潜ませた真理のようで。
@たちばなまこと
さん、コメントありがとうございます。
洒落てるだなんて、、、お恥ずかしい。
ホセ(中南米出身か?)に会ったら伝えないと。
>その愚かさ、悲しさ、可笑しさこそが
>ここで生きていくってことなんじゃないのかな
そのとおりだと思います。
ただ、ここで生まれて、ここにがっつり繋がれた私にとって
「トーキョー」はやるせないだけの街です。
@nonya
さん、コメントありがとうございます。
ホセ、やるじゃんってことですね。
私も見習います!
繋がりも、「繋がれて」しまうと何ともやらせなくなってしまうのもわかる気がします。田舎に繋がれてしまう気持ちはトーキョーでもそこが故郷の人にとっては本質は似てるのかも知れませんね。