あらゆる
リンゴは、リンゴという括りでは
あらゆるリンゴは同じである
当然ながら
単体、個としてのリンゴは
全てにおいて、差異がある
あらゆるとは
様々なリンゴたちの総称とするに
相応しくはない
差異は、反復し増殖する
リンゴ、という括りのしたでは
もはやリンゴとは言えないリンゴも
存在する(不揃いの林檎たち)
あらゆる、との線引は
リンゴという括りであってはならない
繰り返される差異と、その反復
無数の、異なるという現象そのものこそ
リンゴでなければならない
リンゴとは
最終的に皆同じ形と重さでなければならない
同一性の進化と全体主義思想こそ
リンゴを破滅に向かわせる原因である
工業製品のような、mmと違わぬリンゴ
以外の差異はリンゴではない
世の中の、このような考え方こそ
リンゴを腐敗させる
数十億の差異たちは捨てられ
画一化された少数のエリートが
リンゴの代名詞となり、リンゴを支配する
差異を認めないとは
反復を否定する、生きることを認めない
極論ではある
今の世の中そのものでもある
正義とか、正しさが画一化され
マスコミ・メディアで推奨される
目の触れるもの全てが
リンゴは、こうでなければならない
あらゆる括りの工業製品と化している
リンゴはリンゴである
同様に
人間は人間である
生きづらいとは
あらゆる、が人間を縛りつつある
人間は、あらゆるではない
人間を、あらゆるとしてはならない
コメント