リザードマン

男は、偉大な作曲家・モーツァルトは、爬虫類だと信じている
一般の「哺乳類」が作り出すものは鈍重で汗っぽく、あか抜けないもの
でも、あのモーツァルトは、爬虫類のうろこのようにつるりとして爽やかで、しかも直截な本質性を持っている
苦悩と汗を、濃い体毛のようにまとって自慢げなベートーヴェンと比べれば、性質の違いは明らかだろう!
モーツァルトの長調の曲の推進は蛇の匍匐のようにしなやかで、短調の悲しみもワニの牙のように鋭利で、べとつかない
つまりはモーツァルトも自分と同じ、【人間の世に隠れた】二足爬虫類であり、眷属の性質を最良の形で代表・表現していた存在に、違いないのだ
だが、彼以外にも爬虫類は、今のこの世にも隠れているには、違いない
なのに、でもそれを、どう探し当てれば良いのだろう?
我々の抱えている「爬虫類性」が猫の耳のように種の特徴として、コンビニの看板のように分かり易く顕れていれば良いのに

男、彼の幼少期は、ただの「一人の少年」として、8歳の頃ならロサンゼル・スオリンピック開会式のロケットマンに度肝を抜かれた。
大学生になってすぐのアトランタ・オリンピックでは、サッカーで日本がブラジルを下した時には下宿のテレビの前で快哉を叫んだ!
でも会社勤めをし始めて直ぐに、NYの同時多発テロで大勢の乗客を乗せた旅客機が何千人も働いているビルに突入したのを見た時、突然に啓示を得た訳だ

つまり「私は、飛行機で突っ込んだ方とも、突っ込まれた方とも違う【生き物】だ!」と
その年・年齢まで抱えていたモヤモヤの正体が、遂に分かった瞬間だった

「そもそも自分は何故、卵で生まれてこなかったのか? 」

男は、自分は化石時代の、海棲爬虫類であるイクチオサウルスやモササウルスのような「卵胎生」では無かったのかと
【卵の殻の痕跡】を、自らの素性に疑問を抱いた時に母子手帳に探したこともあった
だが出生日と体重、そして実の母親の、息子の名前の候補を書いた嬉しそうなメモぐらいしか見つけられなかった

男が理想とするトカゲやヘビ、つまりは冷血な彼らは、独立不羈、群れずに己の威厳を保っていた
文明を持たないのにそもそも存在が機械的で、冷たさや正確さ、圧倒的な毒と力を持っていた
彼らは自分以外の他に阿ることなく生きていける存在のはずだった
そもそも卵から孵った瞬間より孤独で自律的で、戦いの連続で、生き残った者は誰にも恃まない高潔な性質を持っていた

一方でホモ・サピエンスはどうだ?
生まれた時から親や大人に護られ、いつでも群れて行動し成長【させられる】
太古のアフリカで樹上から降りた後、大陸を移動し始めてからクロマニョン人を初め多くの親戚を駆逐した
更には肌の色や氏族の違いやら理由を見つけては、同一種内の諍いをやめようとしない
延々と終わりなく、身内で殺し合いと【淘汰】を続けている
不寛容と潔癖が交じり合うのは、哺乳類の毛のせいだろうと男・「井筒」は信じる

そうだ、井筒は哺乳類の愚かさに絶望し、かつ自分がそこには属していなかったという「幸運」を知ったのだった
911に始まるテロと戦争の絡み合い、彼がテレビとネット・ニュースで逐一知る流れは、清潔な鱗と意思を持つ爬虫類では起こしえない事件だ
つまりそれは、毛深い哺乳類ならではの諍いだった!
そう信じることが出来た彼は、テロの翌日には頭髪とほぼ全ての体毛を剃ることにした
勿論、爬虫類に近づく為だ
そうして男は、水面に目だけを浮かべて獲物を伺うように、49歳になる今まで哺乳類の家族の中で生活してきた訳だ

……

今の世に一人だけの爬虫類・井筒の絶望は、臨界に達しようとしている
彼は人間の仕事を持ち稼ぎ、生きていける、でも、焦りは、静かに、年と共に増していく
彼の素性を誰も知らない、だから誰にも期待されない、愛されない
【哺乳類】としての仮面を被り、生きて結婚し、子さえなした

だが彼は、徒にこれまでの年月を過ごしすぎた
そろそろ老眼も始まっているし、歯周病も酷い
井筒は、韜晦の期間が長すぎたことを知った
自分の目標は分かっていたはずなのに、つまりは『真の爬虫類の、復権』でしか、ないはず、なのに

都会の動物園やアフリカで地べたを這っている眷属ではない、二本足で思考する、清廉な爬虫類の復権!
もはや奢りすらなく、世界と地球は自分たちのものだと完全に信じ切っている哺乳類の【人類】への、意趣返しが必要なはずだった

爬虫類だけの世界が達成された時、何が起きるだろう?
大きな統治組織もなく、諍いもなく、互いに無関心な二本足の生き物が平和に生きている世界だ
彼と彼女らは、楽しげにでも、距離を保ちながら、上手くやれるはずだ
その思った時、彼はもう一人、偉大な、不遇の爬虫類の存在に思い当たった、【ジョン・レノン】だ!
ジョンの楽曲と言動が示す、美しく、理想的で、安易な実践性を軽蔑する思想は、まさに高邁な爬虫類の在り方に違いなかった

井筒は齢49にして遂に、己の使命として、それを始めるときが来たと知ったのだった

その時アメリカでは、暗殺の危機を逃れた頭のおかしな大統領が、【大きな子供】のように振る舞い始めた
中東では、記録に残る大昔から迫害・虐殺された経験を持つ民族が、より巧妙に大量に虐殺する側に回っていた
哺乳類の大人らは、自分の子供にはするなということを、自らは平気でやっている

翻って井筒の近辺では、パキスタン人の中古車輸出業者の子の青年が、純粋で短絡的で素朴な眼をした好青年が大怪我を負っていた
つまり、同じように短絡的で、より汚れた日本人の中年の酔っ払いに腹を刺されて
井筒とパキスタンの青年は、お互いに名も知らないが、駅ですれ違えば挨拶をする仲だった
パキスタンの青年が運転していた、ナンバープレートの無いパジェロに井筒が轢かれかけた時からの仲だ
その時に、大声で、屈託なく「Sorry! I wish You are Happy!」と叫んだのが、パキスタンの青年だった
彼も爬虫類のように単純で純粋であったが、だが決定的に井筒とは、違う
それでも、良い哺乳類と悪い哺乳類の違いは決定的だと、井筒は思う

毛がある同士の喧嘩は好きにすれば良い、やりあった末に自滅すれば良い
でも、それを待つのがもう、もどかしい
井筒は、50年、待ってきた
でも、地球上の哺乳類の数は増える一方でしかなかった
嬉しそうに【人新世】なんて言葉すら、哺乳類・人間はそろそろ作り出していた

であれば、積極的に「哺乳類減らし」に、加担するべきであろう
宇宙にコロニーがある時代であれば、真っ先に軌道を変えて地球に落としたのは、自分であっただろう。例え「ニュータイプ」でなくても

だから準備を始めた、入念に!
少なくとも初回で終わるべきではなく、また目立つべきでもなかった
今後の長い活動のために
よほど効率良く、核兵器並みの大量の浄化を一度に行うのでなければ、真の絶望に染まるまでは継続的に健康に活動をするが望ましい訳だ

……

寛容な哺乳類は、自分らを弑するための情報すら、大量にストックし公開し続けていた
ホームセンターや薬局で揃えられる材料で、爆弾を作れることを井筒は知った

それは、人間の半身は持っていく殺傷力がある
井筒の望みは、一匹の哺乳類を長く苦しめることではない
瞬間で実務的に数を減らすことだった
片足一本吹き飛ばすだけのカンボジアの地雷と違って、高潔な爬虫類である井筒の内的な要請によって、確実に命を奪うものが準備された

そう、核爆弾だって、夢想しなかった訳ではない

でも映画のように、井筒は理科の教師でもなければ、プルトニウムの精製技術を理解し実践できる訳でもない
ましてや、今は老人となったローリングストーンズにも興味がない

ただ、かつての極左テロ集団の残した爆弾の作り方は、料理のレシピのように整然として閲覧可能で、当然今でも材料さえ揃えられれば準備が出来た訳だ
それもネット上に、より洗練された形で、実際的に公開されている
これも、哺乳類が滅ぶべき理由の一つでも、あるのだ

……

自衛隊の駐屯地が近い山奥で、自作の爆弾を2回試して、起爆装置、量、大きさを整えた
大袈裟な武器をこれ見よがしに準備・装備する正式な【軍隊】の傍で、井筒は都市ゲリラの道具を準備した訳だ
粗忽な自衛隊が、観光客向けの、雪まつりの雪像を準備している隙に

井筒の爆弾は、大きなガチャポンのケースに入っている。透明な半球から見えるのは、剥き出し火薬・回路ではなく、空気の入っていないビニール風船でしかない
風船は、一面に字体を変えて「Yes!」と書いてある、おめでたい代物
オノヨーコの個展で梯子を登り、天井に小さなYesの字を見つけたジョン・レノンであったが、だがその奥さんも我々の仲間ではないか?
言動には少し近いものを感じるが、しかし自己顕示欲の具合は、井筒とは違うだろう。かぶりを振る

……

普通の月曜日に、爆発の期待に満ちたガチャポンの殻を持ち、満員電車に乗り、口の空いたバッグを持った人間を探す
【I Don’t Like Mondays】は、哺乳類だろうが爬虫類だろうが、同じ気持ちだ!

不用心な女は、少しぐらいバッグが重くなったところで、スマホに夢中で気づかない
井筒は、爆弾の製造と並行して女のバッグに物をそっと差し入れる練習を続けていたが、ペットボトル一つ分では気付かれることはないのは結論だった
初めての犠牲者が女、若い女である必要があるのは、その個体と将来の繁殖を妨害するための、合理的な結論だった
決して井筒の、哺乳類【雌】への、性的な願望では、なかった、はずだ

……

見つけた

爪が長くて猫型ロボットの色をしている、二十歳過ぎぐらいの女

スマホを打つのに夢中な、電車の中の大勢と一緒にいるのに、その場の誰とも影響を及ぼし合わない女
乗降する客の波にあわせて井筒も女に近づく!
こんな時ぐらいは、自分の眼も爬虫類のように、立ったアーモンドのようにスマートであって欲しいと思う

誰も怪しまない、誰も電車の中の他人に、興味はない

茶髪で香水の匂いのきつい、1時間前のことも思い出せそうにない女の子
バッグを、わざわざ腰の後ろに回し、異物を入れやすいようにお膳立てまでしてくれている女の子

電車が駅に着く、ガタンと揺れる

降りる支度をする振りをしながら、井筒は堂々とガチャポンを女のカバンに差し入れる

そして静かに笑う、まるで知人のいたずらのように
辺りを見回し、口唇に人差し指をあて、無言で笑う
それも誰も見ていない

やっている井筒もピエロなら、周りの誰もがピエロ

やがての爆死が予定づけられた女は、誰かにハートマークを打つのに夢中で、全く気付かない

隣のシートに座っている男はだらしくなく寝ていて、その隣は出会い系サイトの左右フリックに忙しい

自分の目が届かない背後がどうだかは知らないが、心配するな、全部は滞りなく見事に完了している

……

ガチャポンには、位置情報発信のタグが入っている
今どこにあるかは、地図の上から把握できる
仕事を終えた後の、すれ違う哺乳類、追い抜く哺乳類、たまに袖と袖が触れ合う哺乳類、全部が血と毛と糞の塊にしか見えない
興奮は収まらない。たまに声まで出てしまう
でも誰も怪訝な顔すら見せない
哺乳類どもは、お互いにも私とも、近くに居ても遠い

気を落ち着かせながら1時間後にカフェに入り、ノートPCを起動し、タグがどこまで行ったかを確認する

そこで、爬虫類の神の恩寵があった!
今、カフェの天井のスピーカーから聞こえてきたのは、何番か分からないが間違いなく【爬虫類の王】モーツァルトのヴァイオリン・ソナタだ

タグは足立区の、一軒家を示している
そうであれば、哺乳類の家族もいるのかもしれない。であれば、一石二鳥になるかも知れない

始めよう

爆発を起こすコードを送る、手は、震えては、いない

俺はいけてる!

呼吸を整え、する

タグの発信が無くなる

……

その日の深夜のニュースに出たのは、ただの一軒の家の火事のニュースだった
突然の出火、家人は幸い外出中で無事。警察と消防が原因を調査中
鞄を置いて、すぐに家を出たのか

失望

文字通り、天を仰ぎ、溜め息をつく
2、3回、自分の頬を平手で殴る

何故自分は、電車から降りてすぐに、満員のあの中で発火させなかったのか?
次は容赦なく、降りて直ぐの満員電車で、しかも橋の上を見計らって爆発させようじゃないか!

だが自分の中に、ホッとしている小さい部分があることに気付く。慌てて打ち消す

……

混乱した気持ちのまま部屋から出ると、長女のミカが赤ん坊のコウタと遊んでいた
人間の女に産ませた子だ。しかし、私の子ではないと言い切れる自信がある

血が繋がっていないとか、不義の子なんてつまらない意味ではない、哺乳類なのだ。と思った矢先、コウタがミカのおもちゃを取り上げ、はね除けようとした

その瞬間に井筒は、ミカの眼がきっと縦に細く、アーモンドのようになり、口から何かぬるっとしたものを吐いたのを見た

液体はコウタの顔にかかり、ジュっと肉を焼いた。コウタは大声で泣き始め、やや遅れて哺乳類の母親が部屋に飛び込んできた

「どうしたの?何があったの?」

井筒はミカを見た

その時彼女は、母親から顔を背けて、父親にしか理解出来ない、アーモンドの瞳で笑顔を見せた

投稿者

北海道

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