魔性の跡に

あの人のお墓に向かいながら、私は今日何度目かの溜息を吐いた。それは少しの間、冬の空気に白く滞留し、あの人の好きな夏の綿飴のように解けていった。遠く空に見える、あの煙突の煙と同じように。

ふと過去を思い返すと、
あの夏の記憶にも煙突があった。
別の街の、煙を吐かない煙突が。

その日の溜息はいまよりも重く、形になる前から消えてしまっていた。綿飴の甘さなど考えられないうだるような暑さの中。
使い慣れた包丁の持ち手を濡らし、朦朧として揺らめく煙突を、ずっと見ていた。

煙突は最初から曲がっていたのだろうか。

僕に背を向け、離れていった彼女が振り向いた。その気配を感じながらも、僕は歩き出した。

彼女の恋人は僕の親友で、その親友がいなくなって、ようやく彼女もいなくなろうとしている。
彼の喪失を受け入れられないのは僕も同じで、彼女が故郷へ帰ると言っても、僕は気の抜けた返事しか出来なかった。

どこへ行こうか。
曲がった煙突は、曲がったまま。

今、彼は誰にも手を合わせられずに骨壷に納められた。彼と、僕も街を出よう。
習慣的に、彼に貰ったヘッドホンを身につけ、彼の好きな歌を口ずさむ。

衝動的な、駆ける足音は掻き消され。

どこに隠していたのだろう。
彼女の家からは随分と離れているのに。

ゆっくりと、また煙突が曲がり出す。

音楽だけが鳴り響く。
澄んだ夏空が見えて、回転しながら、地に落ちる。彼と同じように。
アスファルトの熱よりも鮮明に、胸元に温かさを感じる。彼に、微笑みかけられた時のように。

ふと口角が上がったけれど、冷水を浴びせるかのように大っ嫌いな新品の靴が目に見えた。彼の贈り物にしてはつまらない色。 無地のデニールで隠された、僕より、細い脚。

もう、見たくないから、
身体を抱いて丸まって。
音楽だけが、鳴り響く。
こんなふうに、ずっと。

疲れて、目を開け閉め。
胸元の赤を抱きしめる。
あ……彼と同じ色だ。

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