なぜか

生きるということが
なぜか
悲しくなるのは私だけでしょうか
この魂という命が
原初から欠けているせいでしょうか
悲しくなるのは。
雲一つない青空の静けさが
欠けている魂にこうもしみてくる
しみてくるう そう
今日もしんしんと狂う私
どこへ
行こうというのか
ここ以外に。
忘れないよ
あの人の命
人知れず
吹きすぎる風にそよぐ草花
あの人の笑顔
生きるということが
なぜか
嬉しくなる

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コメント

  1. 前半の悲しさで始まり、後半にかけて嬉しさになっていくところにグッと来ます。
    悲しさが嬉しさになるというよりは、悲しさと嬉しさが同居する『ここ』なのでしょう。

  2. あぶくもさんへ あぶくもさんがこの詩を丁寧に読んでくださいまして、身にしみてうれしいです。
    うん、はい、ああ。そうですね。感情というものは複雑なものですよね。
    あぶくもさんが言ってくれた通り、悲しさと嬉しさが『ここ』に同居するという読みに感謝します。そう読んでもらえて、この詩に広がりや豊かさなどが出ると思います。
    あぶくもさん、ありがとうございます。

  3. こしごえさんの命に関する詩の中でも、最初の三行のインパクトが抜群だなあ。そして欠けている命が、あの人の命で補完されていくことで新たな意識が芽生えていく過程に美しさを感じました。

  4. トノモトさんへ ああ、トノモトさんに そう言ってもらえて とってもうれしいです。
    うむ。最近ぽえ会に投稿している作品は、以前のように最低でも一か月で長くて2、3年掛けて書いているのと異なり、長くて1週間位で書いています。この「なぜか」は、たしか2日位で書きました。その分、推敲するのは必要最小限になっています。
    トノモトさんが言ってくれているようなことは、私のこころが跳躍した言葉を言葉で定着しているせいなのかも。つまり、思った瞬間の思いを大事に書いているせいも あるのかもしれません。
    インパクトが抜群、美しさを感じた、とのお言葉、ありがたさと共に詩作への励みになります。もっと言えば、生きる励みになります。
    トノモトさん、ありがとうございます。

  5. 自己の生きるということと、他者の生きているということの、コントラストが肯定感につながりました。自己の命より他者の命の方が尊いような気がして。

  6. timoleonさんへ 自己と他者の生きるということの、コントラストを肯定的に捉えて、timoleonさんがそのようにこの詩を読んでくれたことにとても感謝です。timoleonさん、ありがとうございます。
    そうですねえ。自己の命も他者の命も尊いけれど、timoleonさんの言ってくれたように、他者の命というものは何か特別な感じがしますね。うーん。たとえば、自分だけでこの世界に存在できているわけじゃあないから、他者に支えられて私は存在できているのだから、ということでもありますね。
    timoleonさんのおかげで以上のようなことをあらためて思うことができました。おかげさまで、こう思えることができて うれしいです。

  7. ああ、私も背筋を伸ばして生きなければと思いました。悲しみが寄せては返すこの波打際で。

  8. nonyaさんへ ああ、nonyaさんがこの詩を読んでくれて、その上、そのように思ってくれたことを貴重に思います。nonyaさん、ありがとうございます。
    はい。そうですねぇ。どこへ行こうと、自分は自分ですもんね。「ここ」以外に生きる場所は無いのだと思います。まあ、こういう私に悲しみが尽きないのは、仕方がないことだろうと思うのです。
    そして、nonyaさんが言うように、生きていくしかないのだと思うのです。
    nonyaさんが、生きなければ、と思ってくれたことで、私もあらためて生きていこうと思えました。うん。^^

  9. 悲しみという感情は、人にとって大切な感情ではいかと思います。大きな悲しみは、もちろん人を呑み込んでしまいますが…。悲しみの小さな積み重ねが、いつか、ひとつの優しさに昇華していくといいですね。

  10. 長谷川さんへ そうですね、長谷川さんの言う通りだと思います。悲しみというものは、その人にとって大切なものである場合がありますよね。そういう私も、他の詩(五行歌など)では「この大切な悲しみ」とか言っています。
    この「なぜか」という詩の(私の投稿した)2つ前の「ある夏の日」では、「悲しみは愛に帰る」とも言っています。
    でもそれも人それぞれであり、その時の場合などによって、悲しみの性質もいろいろに変化するものでしょうね。なので、長谷川さんの言ってくれた通りに、悲しみがいつか優しさに昇華していくとすてきですね。長谷川さんと共に私もそう願います。^^

  11. 雪に埋もれて過ごしていると己の存在に思いを巡らせるときがありますよね。

  12. たちばなさんへ そうそう そうです。たちばなさんの言ってくれた通り、雪国で雪に接してばかりいる冬には、どうしても自己との対話が増えるような気がしますね。言われてみればそうだなぁ、と思います。まあ、雪国の冬は外に出ても雪ばかりですからね^^;どうしても内省的になっちゃいますね。うん、そうだ。
    でも、以上のように自分や世界などと向き合うという行為は、(雪国の)冬に限らず、時々には必要なのかもしれませんね。
    たちばなさん、これらのことを思うキッカケをくれまして、ありがとうございます。^^

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