感想文的自由なコラムPOECOLポエコラ #006

長谷川 忍

イメージを、視覚的に、映像的に膨らませていく

#006|2022.02.03

長谷川忍です。第2期の日本WEB詩人会から参加いたしました。新参者です。

もう10年ほど前になりますが、東京の深川にあったライブスペースで、那津na2さん、たちばなまこと/mさん、timoleonさんたちと初めてお会いしました。その後、那津na2さんたちが出されていた詩誌『ROKURO』に詩を寄稿させてもらったり、ROKUROの音楽ライブにおじゃましたり、そんなご縁があり、今回、日本WEB詩人会に誘っていただきました。

ネット詩のサイトは、これまでいくつか閲覧したことはありましたが、実際に参加するのは初めてです。どんな方たちが集っているのか、どんな詩が投稿されているのか。昨年の3月から、自ら作品を投稿しつつ、参加詩人諸氏の作品にもゆっくりと向き合ってきました。想像していた以上に作品のレベルが高く、びっくりしています。

近代詩、現代詩から、ネット詩、リーディング系の詩…、さまざまな括りがありますが、私は、ごくシンプルに考えています。よい詩か、否か。それだけです。よい詩と出合えると、とても嬉しい。権威や名声、派閥は二の次です。著名な詩人の作品でも、よくない詩は少なからずあります。名声に惑わされず、本質を見抜く眼を育んでいきたい。

個人的に、作品から、イメージを、視覚的、映像的に膨らませていきます。そういう意味で、本サイトの「画詩」は面白い試みですね。各作品から、ちいさな物語を読み取ることができないかな、などと投稿作品を読みつつ作品の中に入っていきます。私自身、視覚的、映像的な書き方をしているせいかもしれません。昔から街の散策が好きで、街中のライブ感覚で詩を書いてきました。散策詩的な作品が多いですねとよく言われます。街の中で、断片的な、ささやかなドラマを探しているところがあります。…あくまで個人的嗜好ですが。

日本WEB詩人会を通し、今後もよい詩に出合えたら、と思っています。

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1月に投稿された作品から、印象に残ったものを選んでみました。詩と一口に言っても、さまざまな書き方があるのだということを、あらためて感じます。読者冥利に尽きます。

「シンクロナイズ」 西園寺リル
まるでオムニバス映画を観ているような作品でした。一編一編に独特の臨場感があります。それぞれ個々の状況と光景が描写されていますが、全体として俯瞰してみると、奇妙な融合性がある。この作品に限らず、西園寺さんの詩は、詩の枠を超えた表現力、描写力、映像力があり、圧倒されます。

「微睡みの中で」 八ツ橋
眠りの持つ不可思議な解放感が細やかに表現されています。夢と現(うつつ)、現実と非現実の、ちょうど境にあるような身体感覚でしょうか。私も、そういう感覚を詩の言葉で書くのが好きです。共感を覚えました。

「プラシボとプラトンとプラスチック」 トノモトショウ
詩という表現方法を上手く活かした作品です。詩にして活きてくる世界ですね。「プ」で始まる言葉の不条理ゆえの理知感覚、惹き込まれました。「詩ではなく 詩でもなく/詩にもなれず 詩にもならない」。詩の妙であり、詩人の妙でもありましょう。

「即興/北の風10m」 あまね/saku
淡々と柔らかく描かれていますが、作者の中の深い悲しみを想像すると、いたたまれなくなってくる。この詩の持つ説得力ですね。誰かの傷も吸い込んでしまい、割れてしまいそうになる。しかも、比喩じゃない本当のこととして。ひりひりとした意識の冷たさが伝わってきます。

「罪のある存在」 こしごえ
罪を背負って生きていくことに自覚的でありながら、でも、そうとしか生きざるを得ない作者の苦悩…。読者の共感を呼ぶのではないでしょうか。作者の凄さは、なおかつ「ありがとう」といえるところでしょう。読後感のよさは、その姿勢からくるのかもしれません。

「SD詩s」 nonya
SDGs(持続可能な開発目標)にひっかけ、詩人の本質の部分をユーモラスに語っています。しかも本家と同じ17の目標を。ひとは、自分の首都を大切に守らなければいけません。詩人ならなおさらです。その可能性をさりげなく日本WEB詩人会に向けているのも心憎い。

長谷川 忍 プロフィール

東京都台東区在住。15歳より詩を書き始める。ここ数年は、街の散策詩を中心に詩作を続けている。ライブ感覚に常に敏感でいたい。好きな文筆家は、森鷗外、永井荷風、芝木好子、辰濃和男、向田邦子、他。

長谷川 忍