感想文的自由なコラムPOECOLポエコラ #016

武田たもつ

詩と箱根駅伝との親和性について真剣に考察してみた

#016|2023.09.19

 改めましてこんにちは、もしくはこんばんは、とシルヴィア・シャーウッド風に。こっそりと詩を書く男の人、たけだたもつです。インターネットの片隅で死を、いえ詩をこっそりと書き続けています。
 遅ればせながら、日本WEB詩人会の復活、おめでとうございます。本当に遅ればせながらなのですが、遅いことは決して悪いことではないと思います、と言い訳めいたことを申し上げながら早速本論に入っていきます

 と言いたいところなのですが、ぽえ会の管理運営者様から原稿依頼をいただき、了解しましたと安請け合いしたものの、さてどうしようか、と思うことここ数年。いえ、盛りすぎ盛りすぎ森杉君です、ここ数日。
 とにかく私は文章を書くのが台の苦手で、すいません、誤字です、大の苦手で作文、読書感想文の類はまともに規定枚数書いたことがないですし、下手すると提出すらしない少年期を過ごしました。先ず、何をどう書いて良いのかがさっぱりわかりません。詩を書くようになって何度かエッセイの依頼もいただいたのですが、締め切りも規定枚数もろくに守れず、たもつさんは文章書くのアレだからね、と相手に言わせる持久戦に持ち込み、何度か勝利しました。よし、原稿用紙一枚クリア。ちなみに、依頼では五枚以上とのことで、五分の一を過ぎました。箱根駅伝の往路で言うと、鶴見を通過したあたりですよね。
 話は箱根駅伝に戻って、正月休み、テレビつまんねえ、といいながらザッピングしている時に箱根駅伝の放送をしているとついつい見てしまいませんか、そこの皆様方!ただ走っているだけなのにいつの間にか引き込まれてしまう。餅も喉をとおらない。餅は良く噛んで食べましょう。
 良く噛んで食べましょう、で思い出しました。ポエコラの原稿でしたね、本論は。とにかく、文章を書くのが下手で、それでも卒論は「飲む」と「食う」の違いを原稿用紙百枚超で書いたんだぞ、エッヘン!

 そろそろ皆様お気づきかと思いますけれども、何も考えずにノープランで書いています。着地点もわかりません。それでも書きます。
 ネットで詩を書き始めてから多分二十数年が経ちました。多分、というのは紙による記録と違ってネット情報の不安定さによるところで、掲示板やサイトのサービス終了により自分がいつからネットで詩を書き始めたか、正確な記録が残っていません。辛うじて、今も続いている投稿サイトに最初に投稿したのが2003年という記録が残っているだけで、そのサイトに投稿する前に数年書いているはずだから、「二十数年」ということになります。
 あら、三枚目に突入していますね。平塚が見えてきた、そんな気がします。調子が出てきたので完走目指してあと数枚駆けそう、いえ、書けそう。こういうところ上手いよね、と自画自賛しつつ。ということで話は箱根駅伝に戻るとして、そこは戻るな。
 二十数年、それなりに長いと思います。これだけ書いているといろいろな人に出会い、いろいろな事がありました。せっかくの機会なのでネット詩のこれまでの総括でもしてみようかな、とも思いましたが、先述した正確な記録の不在により断念しました。記憶をもとに思い出話をすることも可能であるにしてもその過程でサイトや個人の名前を出さざるをえず、そうすると中には嫌な思いをしたり傷ついたりする人が出てくる可能性は否定できません。わたしの言動により傷ついた人がいることも認識しています。

 ということで、何を書こうかな、そうだな、心構えのようなものでも書きましょうか。
 私は詩を特別なものと考えないようにしています。詩人も名乗りません。一貫して「こっそりと詩を書く男の人」を名乗っています。
 以前、トークイベントで「詩人の定義は」と聞かれ、「自分で詩人を名乗った人が詩人なのではないでしょうか」と答えたことがあります。某詩人さんは拍手をしてくれて、某詩人さんはムッとしていたのを覚えています。
 詩人と言っても、職業としての詩人と称号としての詩人があって、自分はどちらでもないかな、と感じます。時々、職業詩人ではない人が称号としての詩人を名乗っていると、ああこの人は詩人なのだな、と思います。これから何年かけて書いても私はそこに辿り着くことは絶対にできない尊さがあります。
 詩は本当に大好きです、書くことも読むことも。詩集は必ず通勤鞄に一冊は入っています。ちなみに今日は北村十一さんの詩集「助走」。先日ぽえ会に「加速」という詩を投稿しましたが、背表紙を見ていて、助走する詩が書きたくて書き始めたら、いつの間にか加速していたというオチが美しくて、美しいと思ってしまいました。
 詩を特別なものと思っていないので、なるべく、詩が書けない、という状況を作らないようにしています。呼吸だって食事だって毎日当たり前のようにしていて、特別なことではないですよね。そういえば、いつの間にか五枚が終わっていて往路を完走していました。復路に突入しています。
 「詩が書けない」そんな時もありましたが、多分、詩をもの凄く特別なものと考えていたのだと思います。絵を描く人ってどうなのでしょうか。これはまったく想像なのですが、絵が描けない時なんかは、デッサンしたりいたずら書きしたりしているのではないでしょうか。ということで、最近は詩が書けない、なんてことが無いように、時間がある時はデッサンのようなことをしています。
 今現在がまさに、そんな状況で、目の前に消臭スプレーがあるので、リアルタイムでガチンコでデッサンしてみます。

  消臭スプレーで臭いを消すと
  消せないものがいくつか残った
  それらに名前を付けて
  午後は過ごした
  保存しようとした途端
  すべて消えてしまった
  後にはわたしと
  消臭スプレーだけが残った
  特に会話もなく夜だけを待った

推敲なしで。すいません、出来不出来はどうでも良いし、過去のフレーズの使い回しでも劣化コピーでも構いません。まあこれで今日はデッサンが出来たのでご機嫌です。

 すいません、とりとめのない話ばかりで。最後にぽえ会で気に入っている作家さんの作品の感想を、というオーダーがありましたので何か書こうとしたのですが、選ぶのが難しいですね。伝統のぽえ会です。昔から在籍していらっしゃる方がいます。他の投稿サイトなどでも馴染みで昔から敬愛してやまない方もいます。声を掛けたり掛けられたりで最近お友達になった方もいます。ツイッターでフォローしている方もいます。うーん、誰か選ぶとなると好きがありすぎて困ります。
 ということで、最近気になっている方、ということでお二人ほど。

 お一方は坂本達雄さん。初めて読んだのは「イツワリノの民話・その1」。坂本達雄さんが描く重厚で哲学的な世界観が好きなのですが、私は坂本達雄さんの「目」が好きです。私は詩を読むときに、書いた人の目を意識して読みます。その人が普段何を見ているのか、書いているものを読むとそれがよくわかります。
 坂本達雄さんの詩はファンタジー的な世界観があったりすることもありますが、日常生活において非常に細かいところまで観察しインプットしていることがわかります。それはアウトプットの際に幾重もの層となって表出してきます。それは決してはりぼてではなく、しっかりとした裏打ちがあることが、坂本達雄さんの詩を読んでいただければわかると思います。

 もうお一方は、わかねさん。初めて読んだのは「明日私はハワイに行く」でした。他にも「夏の仕事」「やっぱり京都」「仕事辞めたい時に考えること」などなどを特におすすめしたいです。これらは社会人の日常としての理不尽さ、怒り、ため息等が描かれていますが、いわゆる社会人あるあるではない、わかねさんのリアルがそこにあります。あるあるものは一見誰でも共感できるのかもしれませんが、類型化されたそれにリアルは不在です。すいません、うまく説明できないのでとにかく読んでみてください。特に「仕事辞めたい時に考えること」の三連は唸ってしまいました。

 まとまりませんが、以上になります。結局十枚目に突入しました。間もなく大手町のゴールが見えてきます。続きは、100回記念の箱根駅伝2024で。ゴールテープを切るのはこれを読んでいるあなた自身です。
決まった!決まったのか?

武田たもつ プロフィール

たけだたもつ。たもつ、だけの方が馴染みのある人が多いかも。
その正体は、こっそりと詩を書く男の人。

武田たもつ