Are You Hungry?
みなさんは、理想的な詩の「できあがりかた」ってどんな感じだと思いますか。「できあがりかた」という妙な表現を使いましたが、まあ「つくりかた」「生成のされかた」とか言い換えても構いません。
中には、思い描いたイメージを一発で言語化してしまう天才や、イタコの口寄せかシャーマンの儀式みたいに「降りてくる」という人もいるのかもしれませんが、多くの詩人はたいていの場合、ああでもないこうでもないとことばを選び、表現や言い回しに工夫を凝らし、語順や改行位置を検討し、唸ったり、目をつぶったり、コーヒーを飲んだり、うたた寝したりしながら、推敲したりしなかったりして、ようやく詩ができあがるのではないでしょうか。実際、ぼく自身の詩もほとんどの場合はそういうふうにして「できあがって」います。あるいは、そうやって「つくって」います。
ですが、ぼくが考える理想的な詩の「できあがりかた」はそうではなく、「書いたものが詩になってしまった」という感じなんです。オートマティスムとも違うし、AIに詩を自動生成させるのとももちろん違います。詩をつくろうとして書くのではなく、書きたい「何か」があって、それをことばとして、文字として変換していったら、辿り着いた先が詩に「なってしまった」、そんな感じ。わかってもらえますか。
あまり上手い喩えではないかもしれませんが、めちゃくちゃにおなかが減ったときに、何か食べたいという衝動(という単語はあまり使いたくないのだけれど)に従って手近にある食材で料理を作ったら、なんだかおいしい料理ができあがってしまった。そんな感じで詩が「できあがる」のが理想、と言えば伝わるでしょうか。
もちろん、そうやっておいじい料理が「できあがってしまう」には、それなりの食材は必要です。技術や知識がなければ、玉ねぎひとつみじん切りにする事さえできません。経験がなければ、自分がつくろうとしている料理の方向性も定まらないでしょう。でも、何よりも肝心なことは、腹が減っているかどうかではないでしょうか。おなかが減っているからこそおいしい料理が「できあがってしまう」のであって、満腹で料理のことを考えたくもない状態だったらそういうわけにはいかないでしょう。
きっと、詩も同じですよね。
というわけで、(たぶん、実際は違うんだろうけど)そんなふうにして「できあがってしまった」のではないかと、勝手に思っている詩を一篇紹介しますね。
たけだたもつさんの『焼き鳥』という作品。
この作品のコメント欄にもまったく同じことを書いたのですが、こういうのって「詩を書こう」「詩にしよう」として生まれるものではなく、その時の感情とか情景とか五感が感じ取ったあらゆるものが混ざり合って、詩として書かれるしかなかった何か、なんだと思います。
これも勝手な想像だけど、たもつさんという人には「書いたものが詩になってしまう」プログラムがインストールされてるんじゃないかと前々から思っています(笑)。
大覚アキラ プロフィール
1967年、新潟生まれ。大阪在住。
コピーライター。
煙草とビールが三度の飯より好き。
苦手なものは早起きです。
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