誤差
今朝、わたし、分身しました
自分でも何を言っているのか
ただいつの間にか分身の術が
使えるようになったとのことです
増えたわたしがそう言っていました
わたしなど1人で十分なのに
2倍になって何の意味があるのだろう
右手を挙げろと念じれば
分身が右手を挙げます
左手を、と念じれば左手を挙げます
3回まわってワン、と念じても
知らん顔をしているところなどは
まさにわたしそのものです
しばらくすると3人に増えます
1.5倍です。
何故かカウントが2人基準です。
4人に増えます
約1.3倍です
もはや増えているのが前提です
そうこうしているうちに
今、また1人増えました
1.001倍です。
もうここまで来ると誤差の範囲内です
我々は誤差の中で生きている
誰が言ったかわかりませんが
その意味がやっとわかった気がします
ごめんなさい
今日はわたしたちだけで
電車、一人占めです
コメント
やっと意味がわかる時が、昨日ありました。
攻殻機動隊の 映画「イノセンス」の宣伝ポスターに、こうあります。
「イノセンス
それは、いのち」
と。
次に挙げる昨日、書いた私の五行歌が、元になって、この「イノセンス」のポスターのキャッチフレーズの意味がわかったような気がします。
ーーーーーーーーーー
この次元には
悪も善も無い
あるのはただ
いのちが
あるのみ
ーーーーーーーーーー
もうここまで来ると誤差の範囲内です
我々は誤差の中で生きている
いろんなことが、その誤差の範囲内なのでしょうね。
この私も、ね。
細胞分裂のような増殖と、最後の3行の図々しさ(?)に、笑ってしまいました。こんな車両が目の前に止まったら、目を丸くして、次の電車を待つため、これは見過ごせない、甚だしい誤差でありましょう!
@こしごえ
こしごえさん、コメントありがとうございます。
攻殻機動隊、未視聴なんですよ。かなり昔のアニメなのに凄い、という話を聞いているので今度見てみたいですね。dアニメにあったかな…
善も悪もグラデーションがあって、そのグラデーションすら、人の考えのグラデーションの中で見え方が違ってくる、そんな感じなのでしょうね。
いのちがあるのみ、というのであるならば、命を奪うこと、それは絶対悪としても良いとは思いますが、例えば独裁者が核爆弾のボタンに手を伸ばした時、その独裁者を撃つことは絶対善と言えるのだろうか、人の命を救うために人の命を奪う、それは絶対善なのだろうか、人の命の大切さって 多 対 少 できまるのだろうか、などと考えが巡りました。
トロッコ問題のようになってきました。ただ、私のこのコメントは、どこかで話をすり替えている気もします。
@野鳥倶楽部
野鳥倶楽部さん、コメントありがとうございます。
確かにずうずうしい 笑
私がたくさんいれば、本体の私が分身の私にいろいろと指揮して物事が進むかな、とも思ったのですが役立たずがいくら増えても、0に何をかけても0、ですね。
@たけだたもつ
様
返信をありがとうございます。
0は特別な数字だという記憶があり、Wikipediaで調べてみたら、0だけでこんなに内容が!?
0ゆえに良いのかもしれない、と感じました。私はマイナスにならないよう、ぐうたら過ごさないよう気をつけます!
めんつゆの希釈みたいに自分を薄めて
そこかしこにいる人と共通するもののなかに入ったような
さして持っている意識もほんとうは皆あまり変わらないんじゃないかな、という思いになりました。
別の見方をすると忍者みたいで、コマの中では同じ振る舞いをしている姿形が何人もいて
遠くからそう見えてる、それを俯瞰している自分みたいなものも感じて面白いです。
@kフウ
kフウさん、コメントありがとうございます。
自分の実態がよくわからなくなる時があって、そのくせ、めんつゆを希釈するようにしても、決して透明にはなってくれない。何人いても、存在意義は一人分、そのような。