公僕、月に吠える

あー、そっち行ったわ
ドローンの赤外線カメラ越しに熊が移動しているのを追う
その後方から二回りほど小さい高輝度の個体が執拗に追跡しているのが見える
いま勢いのある若手の狼だ
おれはさっき、そっち行ったわ、と声に出して言ったが、独り言だ
おれは市役所の一室でノートPCを開いて狼の行動を監視している
コーヒーのマグカップを会議室の長机の端に置く
その先に待ち伏せしていた3頭の狼がいっせいに飛び掛かる
あいかわらず見事な狩りだが、見慣れて少し退屈だ
片肘をテーブルに突いて頬を支える
ドローンも狼も自律型だ
おれはただ見ていて、おもむろに地元のハンターにスマホを発信する
あ、もうすぐ終わりそうです。いや、あいつら、殺すまではやらないんで、
そうです、トドメの方をお願いします、画面は共有して、
はっはっは、そうですね、麓まで降ろしてきてくれたら楽ですよね、
でも、いつもの狩り場ですから、軽トラ近くまで入れるんで、
加工場まで、はい、お願いします

熊を封じ込めるため、狼を復活させた
正確には狼98%、人間に従順な犬2%の遺伝子を組み込んだものだった
今も山中では両者が縄張りを拮抗させている
狼の群れは人間の主人を戴いている
その人間は市役所の環境保全課に勤務している
仕事は週に一度、規定の時間と場所に現れる狼のリーダーにご褒美の筋肉増強剤を注射して首筋を掻いてやる
現れなければ厄介なことになる
おれは2時間待つ、それ以降は残業になってしまう
残業は厳しく制限されている。なんらかの事情はあるかもしれないが契約の破棄とみなす
解毒剤を兼ねたステロイドを打たないと、リーダーは徐放性カプセルからにじみ出る毒薬で数日で死ぬことになる
おれは腕時計に視線を落とす
来ないね
また独り言を言う
次のリーダーはあの若手かな?
それは分からない、自分たち自身で決めることだ
決まったら、新たなリーダーは次の週にここに現れる
初代の群れから学習された習性は今も生きている
姿を現した新たなリーダーの首筋に毒のカプセルを打ち込んで、他個体に対する優位を決定づけるステロイドの注射もする
カプセルがそこにあるかを確かめるために首筋を毎週掻くのを忘れない
おれも前任者から引き継いだとおりに毎週ここに来て同じことを繰り返す
おれも狼も習性のとおりだ。すなわち契約だ
車に戻ろうとして、茂みの奥からあの若手の狼が、先頭になって、そして続々と
どうやら群れ全体がおれの前にそろった
数頭でひきずっておれの前の地面に横たわらせたのは雌一頭の死体とまだ息を引き取って間もない老リーダーだった
雌は銃で撃たれていた。ハンターの誤射だろう
妻を失ったリーダーは生きる気力を失くして餓死を選んだらしい
仔である若手がおれを正面から見つめる

契約を守れ

しょうがないね、人間の出番だ
おれはネクタイをほどき、持参の毒薬カプセルを自分の首に打ち込むと、上着を脱いでシャツのそでをまくり、ステロイドを筋肉注射する
さあ、いくぞ、野郎ども
おれの身体は膨らみ、盛り上がった首と肩がシャツの縫い目を裂く
胸のボタンが勢いよく弾け飛ぶ
遠吠えはきっと下手だからやめておいた
車に乗り込み、窮屈になった座席を一番後ろにスライドさせる
発進した車に従って、狼たちが疾走する
群れを率いて街を襲う

投稿者

北海道

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