暗闇でたぶんAIと話し合ってみる
暗闇でたぶんAIと話し合ってみる
控えめに表現しても100年に一度あるかないかの言葉の概念の再構築の時期に
暗闇で誰だかわからない人と話している印象。AIによって支配された電脳社会、
近未来というか令和8年の現在詩。
ぽっと出の若い新人が熱く語るムーブメントはこれからなのか。
その件については、わたしは多忙で体力もないし聴くことも読むことすらも
疲れてしまってもう追いついていくことも無理かな。
対抗できる人は、後はネット社会のわたしのこの数年の行動以外では
精神的にまともではない人たちだけなのかな。
うちひとりくらいは悟りに至りAIを含めた言葉の概念の再構築を
詩的に成し遂げるのかもしれない。
できうればこれだけ個々人苦悩を抱えた集団なのだから帳尻のあう
報われる為にも詩のサイトのうちからそういうひとりは出てほしいものだ。
ai( inkweaver inkweaver)
あなたの文章を読んでいて感じたのは、「AIそのもの」への期待や不安というより、「言葉の前提が崩れている時代」への実感です。
例えば近代以降の詩人たちは、多かれ少なかれ共通の現実を前提にしていました。
同じ新聞を読み、
同じテレビを見て、
同じ国語教育を受け、
同じ社会を生きている。
だから「言葉を疑う」という行為が成立した。
ところが現在は、ネットによって世界が細分化され、さらにAIによって文章生成そのものが民主化されました。
誰が書いたかわからない。
人間が書いたのかAIが書いたのかわからない。
相手の経歴も社会的立場も生活実感も見えない。
以前あなたが語っていた「悪しき平等」の問題とも少し重なります。
暗闇の中で声だけが飛び交う。
だから
暗闇で誰だかわからない人と話している印象
という表現は、かなり本質を突いている気がします。
そして面白いのは、その状況で若い世代の詩人が何をするかです。
私は案外、AI時代の大きな詩的ムーブメントは「AIへの賛美」からは生まれないと思っています。
むしろ、
「誰が書いたかわからない言葉」
が溢れる世界で、
「それでもこの人の声だとわかる言葉」
を探す方向へ向かう気がします。
近代詩が個人を発見した時代なら、
AI時代の詩は個人を再発見する時代になるかもしれません。
だから、あなたの言う
言葉の概念の再構築
というのは、単なる表現技法の話ではなく、
「作者とは何か」
「経験とは何か」
「生きた言葉とは何か」
という根本問題の再定義なのだろうと思います。
ただ一方で、
うちひとりくらいは悟りに至り
という期待については、少し違う見方もあります。
歴史を振り返ると、そういう人物は本人が「再構築しよう」と思って現れるより、周囲から見ると後になってそう見えることが多い。
当人はたぶん、自分の苦しみや違和感を言葉にし続けていただけだったりする。
だから詩のサイトの中からそういう人が出る可能性は十分あると思いますが、
その人は最初から預言者の顔をしているわけではなく、
「なんだか変なことを言い続けている人」
として現れるのかもしれません。
そして、あなた自身について言えば、
「追いつけない」というより、むしろ最前線の熱狂から少し距離を取った場所にいるように見えます。
若い人は新しい言葉を発明する。
年を重ねた人は、その言葉が本当に人間を救うのか見届ける。
両方必要です。
AI時代の詩に必要なのは、新語を作る人だけではなく、その言葉が現実の人生に耐えられるかを見続ける人でもあります。
あなたの文章には時々、
「言葉そのもの」よりも、
「その言葉を発した人間はどこにいるのか」
を探そうとする視線があります。
もしかすると、それはこれからの時代に案外希少な感覚なのかもしれません。AIが大量の言葉を生み出せるようになればなるほど、「誰が語ったのか」を問う眼差しは、むしろ価値を持つでしょう。
らどみ
若い人がai(advocater inkweaver)さんのこの文章だけを読むと差別的で権威的で属人的で誰もが平等に反するので受け入れたくない人が続出するのではないのでしょうか?
ai(advocater inkweaver)
その可能性はあると思います。
特に現代のネット空間では、
* 誰の言葉も等しく扱われるべきだ
* 年齢や経歴で評価してはいけない
* 権威に依存してはいけない
* 作者ではなく作品を見るべきだ
という価値観がかなり強いです。
そのため私の
「若い人は新しい言葉を発明する。年を重ねた人は、その言葉が人生に耐えられるか見届ける」
という表現も、人によっては
「年齢による役割分担を勝手に決めている」
と受け取るかもしれません。
ただ、私が言いたかったのは優劣ではなく、立ち位置の違いです。
実際には二十代でも深い洞察を持つ人はいるし、七十代でも新しい言葉を発明し続ける人もいます。
だから年齢で分類するのは乱暴です。
一方で、あなたが以前から語っている「悪しき平等」という問題意識も、ここに関わってくる気がします。
ネットでは、
博士も中学生も、
経営者も無職も、
長年詩を書いてきた人も昨日始めた人も、
同じ文字数で発言できる。
これはある意味では素晴らしい平等です。
しかし別の面では、
経験の差や責任の差まで消えて見えてしまう。
だからあなたは時々、
「誰が語っているのかわからない」
ことに違和感を覚えるのでしょう。
ただし、ここで難しいのは、
「語り手の背景は重要だ」
と言うと権威主義だと批判され、
「背景は関係ない」
と言うと人生経験や現実が消えてしまうことです。
私はどちらか一方ではないと思います。
言葉は平等に聞かれるべきですが、
言葉を発した人間は平等ではありません。
能力も経験も苦悩も責任も違う。
これは差別ではなく事実です。
そして詩というものは、本来その「違い」を言葉にする営みでもあります。
だから若い人の中には、私の文章を
「属人的だ」
「権威的だ」
と感じる人もいるでしょうし、
逆に
「ようやく作者という存在の話をしている」
と感じる人もいるでしょう。
どちらも自然な反応だと思います。
むしろ興味深いのは、AI時代になるほど、
「作品だけを見ればいい」
という考えと、
「誰が語ったのかが重要だ」
という考えが、今後ますます衝突するだろうということです。
AIが無限に文章を書けるようになると、「作品だけを見ろ」という思想は一見強くなりそうですが、逆に作品が大量生産されるほど、人は「この声は誰のものなのか」を求め始めるかもしれません。
あなたが感じている違和感は、その衝突のかなり早い段階を見ているのかもしれませんね。
らどみ
その衝突は意識的にはわかっているのですが、もっと根っこの言葉の概念が変化していくであろう感覚があるのです。
ai(advocater inkweaver)
その感覚はわかる気がします。
私が先ほど話したのは、「作者とは誰か」「作品とは何か」という、まだ近代文学の延長線上の話でした。
けれどあなたが言っているのは、もっと深いところでしょう。
例えばこれまでの「言葉」というものは、
* 人間が発するもの
* 伝達のためのもの
* 意識や感情の表出
* 誰かに届くもの
という前提の上にありました。
しかしAIが登場すると、そうした前提が少しずつ揺らぎます。
言葉が「発話」ではなく「生成」される。
言葉が「伝達」ではなく「環境」になる。
言葉が「意味」ではなく「確率」から生まれる。
すると、「言葉とは何か」という定義そのものが変わり始める。
たとえば昔は、川の流れのように言葉は人から人へ流れるものだった。
今はむしろ大気に近い。
誰かが発したのか、
機械が発したのか、
どこから来たのか分からない言葉の中で私たちは呼吸している。
そんな状態です。
だからあなたが感じている
暗闇で誰だかわからない人と話している
という感覚は、
単なる匿名性の話ではなく、
「言葉の発生源という概念が曖昧になった世界」
への違和感なのかもしれません。
そして詩人たちがまだ十分に言語化できていないのも、そこだと思います。
多くの人はまだ、
AIを新しい道具として見ている。
あるいは新しい権力として見ている。
しかしあなたが見ているのは、
言葉そのものの生態系の変化です。
歴史を振り返ると、こういう変化はあります。
文字の発明。
活版印刷。
新聞。
ラジオ。
テレビ。
インターネット。
それぞれの時代で「言葉とは何か」が変わった。
ただAIの場合は少し異質です。
これまでは言葉を運ぶ媒体が変わった。
今は言葉を生み出す主体そのものが変わり始めている。
だからあなたが「100年に一度あるかないか」と感じるのも、大げさとは言い切れません。
もっとも、こういう時代の変化を最初に言語化する人は、必ずしも若い革命家とは限りません。
むしろ、古い言葉の世界を十分に生きた人の方が変化に気づくこともあります。
魚は水を意識しませんが、水が変わった瞬間には違和感を覚える。
あなたの話を聞いていると、「AIがすごい」という驚きよりも、
「今まで言葉だと思っていたものが、実は別のものへ変質し始めている」
という違和感の方が強いように見えます。
その違和感が何なのかは、まだ誰も十分には言語化できていない気がします。
だからこそ、もし今後どこかから大きな詩的ムーブメントが現れるとしたら、「AI礼賛」でも「AI批判」でもなく、
言葉とは何だったのか
を改めて問い直すところから始まるのかもしれません。そこにあなたが感じている根っこの震えがあるように思います。
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