優しさの果てに
四丁目のアパートで見た心中事件
男は痴呆の母親と二人で暮らしていた
介護のためにやむなく仕事を辞めたが
生活保護の申請はなかなか通らず
困窮状態にあったとみられる
それが原因なのかは知る由もないが
男が母親の頭をハンマーで叩き割り
自らはガソリンを飲んで死のうとした
という事実だけは明白だった
コップ一杯でも致死量だというのに
男は一升瓶に溜めたガソリンをちびちびと呷り
炙ったイカをつまみにしたりなんかして
遂には飲み干してしまったのだ
意識は朦朧とするが一向に死ぬ気配を感じず
床に倒れ伏している母親が不憫で堪らなかった
母ちゃん、おれもすぐそっちに行くからな
その前に小便に行かせてくれよ
茶色く濁った生臭い尿を放出しながら
男はいつものように煙草に火をつけた
すると気化した尿がたちまち炎となって
男の全身を一瞬にして燃え上がらせた
焼けた肉がぼろぼろと崩壊していく
こぼれ落ちた男の細長い陰茎が便器を詰まらせる
一方母親は割れた頭蓋骨の隙間から
脳味噌が漏れていくのを呆然と眺めていた
あってもなくても何も変わらないというのに
畳の上を流れる脳漿をもったいないと思い
慌てて両手で掻き集めようとしている
薄れゆく意識の中で息子がまだ小さかった頃
母ちゃん、ずっと一緒にいような
生まれ変わっても母ちゃんの子供になるからな
歯の抜けた幼い笑顔でそんなことを言ってくれた
のを突然思い出したが
それが母親の最期のまともな記憶となった
消し炭となった男の身体は
開け放たれた窓から風に運ばれていく
便器から溢れ出した汚水は
母親の脳味噌を攪拌しながら流れていく
やがてそれらは再び集まって一塊の雲になり
寂しい街に酸性雨を降らせる
[TONOMOTOSHO Rebirth Project No.061: Title by 大葉もみじ]
コメント
何がその人 その人にとって最善のことなのか・・・・・・。
その人(達)にしか わからない事情などがある。
優しさの果てに
優しくありたいと思うほど残虐と残酷に迷い込んでしまう、それが人間の辿る道。
『優しい人』からの『優しさの果て』とくるんですね。なんともグロ悲しい。
なぜかJFKが撃たれたときのジャクリーヌ夫人の行動の映像が浮かんでしまった。
つまり汚い物も綺麗な物も、善も悪も、生も死も、一塊となり雲となり雨となり水となり、私たちの身体を流れます。
人をスライスしたフレークでコラージュを
人の一生はすべからくこういうことなんだが、色々と見え方が違うだけだ。
優しさの果てに、という題名が、作品中のおぞましい「現実」と被り、強い印象を残しました。ラストの、寂しい街に酸性雨を降らせる。…沁みますね。
たしかトノモトショウに合わないタイトルにしようと思って考えたはず。
このタイトルからどんな詩を書いてくれるのか楽しみにしていた。
年月を経て今読める幸せ。
臭いや熱感を感じる生々しさ。
最後の一行でそれらをさっぱり洗い流す心地よさ。
ごちそうさまでした。