年金生活24時
あるところに、映画に愛し愛された男がいて、今日も明日も映画三昧
「さあて、今朝のデザートは、シャンドラポメロに、しようかな? グレープフルーツに、しようかな?
伊予柑に、しようかな? はたまた、甘夏にしようかな?」
大好きな柑橘類に囲まれてぬくぬくと、八朔ならぬ傑作映画の数々
「さあて、見る映画は『スターウォーズ』に、しようかな? 『ベン・ハー』に、しようかな? 『推定無罪』に、しようかな? ショーン・コネリーが、良い。彼を見ると、映画を見たという感じがするんだ」
父親には愛を知らぬ息子が二人いて、二人とも父親が薦めて入れた精神病院へ。その息子から、手紙が届く。
「お父さんへ。馬鹿な息子、愚息で上手くお父さんに感謝の意の言葉を伝えられなくて、ごめんなさい」
手紙を読み終え、父親は目に涙を浮かべると、心の中でこう呟きました。
「息子よ。俺は当然のことをしたまでだ。こちらこそ、お前の人生をふんだくってすまなかった。俺の自己愛と悲観主義に付き合わせてお前ら二人を病気にしちまい、病院に入れて薬漬けの生活を送らせて、本当にすまなかった」
父親は目からティッシュで涙を拭い去ると、今夜も長生きのための安眠ベッドへ。
「嗚呼、平和はいいもんだ」
「さあて、今夜のBGMは、古今亭圓生に、しようかな? ビートルズに、しようかな? ちあきなおみに、しようかな?」
コメント
不思議な読書感です。
この作品、父親の独白が終盤で大きく転調するため、
「父を描きたい作品」なのか「息子を描きたい作品」
なのか焦点が揺れました。ただ、その揺れ自体が、
特定の誰か一人ではなく「壊れてしまった家族」という
全体像を浮かび上がらせているとも読めましたが
不思議な読書感はいろいろある「家族のかたち」から
来ているのだと思います。
コメントありがとうございます。
この作品は私の内的独白として、被害感情的と受け取る人もいるかも知れません。
苛立ちや辛辣な思いを作品にぶつけているとも言えるし、自分自身に起きたことについて、描き続けているとなにか見えてくるかな? と期待しているようなところもあるのですが、意外と筋トレでもしてた方が有益なのかも知れないと思ったりもします。筋トレしていると感じること。やっぱり弱いやつだと思われて舐められてたなあなんて、半生を振り返ると思いますね。
「家族のかたち」
どうしようもない家族とさえ言えない家族でした。絆というものがおよそ不似合いな一家でしたね。
句読点のうたれる場所がとても好きでした。
@wc.
技術的なところを評価され、とても光栄です。
句読点、音読でいう息遣い=ブレスで良いのか? そこに関しては田中教平さんという方からアドバイスを受け、嗚呼そうなんだあと修正するようになった次第です。
些細なところに文の味わいが出るものかも知れません。ありがとうございました。