孤独な愛で
澄んで淡くやさしい光に照らされた
円いちゃぶ台の上にノートを広げ
パイロット社製の「ドクターグリップ」シャーペンで
詩を書いている。
詩を書いているといっても
これが詩なのかどうか
作者がこれは詩だと言えば
詩なのだろうし
読者がこれは詩ではないと言えば
詩ではないのだろう。
詩とは、死を含んでいる生だと思う
私にとっては
言葉の姿がなくても
あらゆるところに詩は生きている
詩という感覚を
そのいのちの 声を
時々感じる
たとえば
コーヒーカップをちゃぶ台の上に
「コトン」と置く音を
私と共に聞く
宇宙の魂は
広く静かな闇を持っている
私の闇もどこかに光を持っている
独りの宇宙と
独りの私が出会い交わる時
詩は独りで生まれてくる
ひとりきり
たとえ
誰かに見守られながら逝くとしても、
逝く時も独りで逝く私
なぜなら
宇宙の存在と私の存在は
つながっているから
独りは全て
全ては独り
宇宙も
私も
詩も
つながっている
孤独な愛で
満ちている
淋しさへ
手を振る
コメント
あああさんへ ああ、うん、シャーペン生っていい響きですね♪
このシャーペンのことを幸せと言ってくれて、ありがたいです。ありがとうございます
詩人には「静寂」が必要。と、或る詩人が言っていたのを思い出しました。その詩人の作品を読むと、なるほどその通りだ、と思わせるものがありました。こしごえさんの詩からも、こころと世界の底に流れる「静寂」を、強く感じます。よい読詩体験を、ありがとう。
Yuzoさんへ この詩から その詩人の言っていたのを思い出してくれて光栄に思います。
そして、この詩から こころと世界の底に流れる「静寂」を強く感じてくれて貴重に思います。静寂は好きです。
こちらこそ、読んでくれた上にこうまでしてくださいまして とてもうれしいです。
ありがとうございます。
詩は、定義がむずかしいですが、…自分にとってはこれが詩なのだ。その気持ち、意思は、大事なのかなと思います。私も、長く自己流で詩を書いてきました。この詩の中の想いには共感いたします。
長谷川さんへ 作品をつくる、ということは、詩に限らず孤独な行為なのではなかろうかと思います。
詩がどういうものか、というのは、詩人それぞれの思いがあるのだろうと思いますし、詩人それぞれでいいのではないかなぁ とも思います。
長谷川さんが、その中で自己流で書いてきたのも、そして、これからも自己流で書いていくことをすてきだと思います。
この詩の中の想いに共感してくれたことをとってもうれしく貴重に思います。ありがとうございます。
はじめまして。
私は失語症なので。
話が分からない。文章がわからない・・・
すごく良かったです。
ありがとうございます。
アトム。
@北杜アトム
アトムさん コメントをありがとうございます。^^
はじめまして、拝礼
わからなくても だいじょうぶですよ。
この詩を 感じてくれるだけで ありがたいです。
アトムさんが、すごく良かった、と言ってくれて、とても 嬉しいです。
ありがとうさま♪☆^^