逆峰
詩
と死
二つの
合わせ鏡
置いて反射
底知れぬ体力
いつ果てるとも
繰り返し繰り返し
しゃべる壊れた玩具
詩ぬ詩ぬ詩ぬと四回目
物言わぬ肉袋 横たわる
光
頂上直下のラストの登り
標高差千五百米ほどの
長く険しい道のりの
森林限界を越える
死んでもいいと
ひとりごちる
えもいえぬ
万詩に値
粟立つ
此処
今
詩
と死
二つの
合わせ鏡
置いて反射
底知れぬ体力
いつ果てるとも
繰り返し繰り返し
しゃべる壊れた玩具
詩ぬ詩ぬ詩ぬと四回目
物言わぬ肉袋 横たわる
光
頂上直下のラストの登り
標高差千五百米ほどの
長く険しい道のりの
森林限界を越える
死んでもいいと
ひとりごちる
えもいえぬ
万詩に値
粟立つ
此処
今
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コメント
全体的に、緊張感のある詩行。
その中でも、
以下の、部分が、こころに強く訴え掛けます。
長く険しい道のりの
森林限界を越える
死んでもいいと
ひとりごちる
死んでもいい、というのは、私も時々思うことです。けれど、そう思うことは、罰当りなことでも(も)ある。生きていられるだけでも、ありがたい、と思う時があるからです。
でも、でもね。夢は沢山叶ったし、特に思い残すことも無い。だから、正直、いつ死んでもいいんですよねぇ。ふふふ。
まあ、罰当りですよ。むしろ、死にたいけれど、自殺は、これという理由は(は)無く、なんか、なんか 嫌です。自殺 できない のならば、とことん 生きろ、と自戒を持って、自分に言う時もあります。うん。生きるぞ、と。ふふふ。ああ。
あぶくもさん、ある意味、すごい詩を書いてくれて、ありがとうさま。ふふ。
高低逆から読んでも成立して、意味合いが組み変わる感覚を体験しました。
自分の場合、目指すか乗り越える対象があって、道のりがキツいときに詩ぬ詩ぬ詩ぬって脳内再生されます。しんでもいいとは思ったことなくて、感じられるならそれも体験してみたいです。
これ理想は縦書きにしたいとこでしょー? 穴の底に光があるように。
私は登山はしたことがないですし、この年齢になってみると、体力的にもしたいとは思いませんが、それでももう少し若いころは、スキーが趣味でしたので、登山といえばリフトでも登山には違いありませんが、それで森林限界を超えると、さすがに凄い景色だなと感動したものです。突然まわりの音が消える感覚です。森林もなく、どこまでも続く白一色。空は晴天だったりする。そして無風で無音。この世のものとは思えませんね。死んでもよいとは思いませんでしたが死んだのかと思いましたよ。この詩を読んでふとそんなことを思い出しました。
@こしごえ
さん、コメントありがとうございます。
私もこしごえさんと概ね同じように考えていますので、死んでもいいと思えることがあっても実際には死なないですし、生きて生きて、死んでもいいと思えるようなことを味わいたい側にいます。
@たちばなまこと
さん、コメントありがとうございます。
逆読みも試してもらえて嬉しいです。詩と死は、エロスとタナトスみたいなもので、単なる言葉遊びを超えて何度も扱ってしまうものです。そういう意味で、詩ぬ詩ぬ詩ぬは小さな死ですから、そう言いながら寧ろ生を実感していることの裏返しかも知れません。逆から読んだり裏返したり忙しいものです。
@トノモトショウ
さん、コメントありがとうございます。
さすが、ビジュ詩の大家トノモト氏なら立て書き想定で読んで感じてくれるだろうと思っておりました!横書きは横書きでシンメトリックな右半分の世界みたいに見えなくもないのですが。いろんな逆峰を楽しんでもらえたら本望ですー
@たかぼ
さん、コメントありがとうございます。
私も子どもの頃から若い頃まではスキーやスノボで白銀の世界を楽しみましたのでおっしゃる意味よくわかります。と言うか、登山もガチの雪山は流石にやらないのですが、この詩を雪山としてイメージするとなおのこと詩と死の世界が際立つのかも知れませんね。