一対(ふたつ)の器官
線路沿いに咲いた季節外れの花火のような曼珠沙華
湿り気のある腐葉土の匂い
草の香のする方へと歩いていく
さまざま響く小さな声たちについて彼は知り
樹々の中 見えぬ鳥たちは天気の移ろいに心なしか忙しない
すべてがかき消されてしまいそうな喧騒を逃れて隠れる箱の中で
彼女の不確かな片側に立って耳たぶを歯で触りながら
低いめの声でささやいてみる
生温かい湿り気のある吐息は振動となって吸収されていく
彼女は一対(ふたつ)の器官である
右は誰にも聴かれる 左は何やらぬちゃら
ことのない言霊たち ぬちゃらと絡み合う
その意味を剥ぎ取る 色鮮やかな生の蠢く
音 音
響かせて脳幹で交叉し混合する
そしてそれは互いの過剰と不足を持て余し
途切れることがない
過呼吸気味で矢継ぎ早に放たれる数えきれぬ問いと
幾通りものどちらともつかぬ放置された答え
差し出されたものを互いが自分で継ぎ接ぎして
作り出した像と像では答え合わせにもならないから
遥々広がる大海原を行くような
懐かしい昂ぶりを小脇に抱えて
自分たちに都合の良い解釈で
わかり合いごっこに興じた後
やがて季節が移ろい飽きが来て
今度はより寂しいのはこちらなのだと
競い合うような面倒で厄介で不毛な
わかり合えないごっこを始める
繋ぎ合わせた浮遊感の中を泳ぎ疲れた体は
二体折り重なったまま朝を迎える
彼らは一対(ふたつ)の器官である
コメント
湿度に満ち満ちた内臓みたいな森の中を思います。
右と左は肺とか腎臓とか目かなって。
彼女なら子宮とも。
最後から二連目の息継ぎを惜しむような詩行たち、かっこよ、です。
対の下の二連、大人の恋みたいなものも感じました。
彼女は右と左に面があるけれど、それが一人の人間をなし、また、彼らも二人で一対、複雑が組合わさっていく。複雑は分かりあうのは困難だけれど、互いに分かり合えないことが、似た者同士で、それは分かり合えていることになるのか?など、考えてしまいました。数式のように洗練された詩と思いました。
彼らは一対(ふたつ)の器官である
器官を備えていること自体が、幸福なことだろうと思われます。だって、感じ合えるんですもの。
この詩の、生々しい交感のリアルを感じました。リアルな詩です。
昔、ある詩人が言ってました。「リアルなことと、リアルであることは ちがう」って。どちらがいいのか、私には分かりません。でも、
あぶくもさんのこの詩は、純粋に、リアルな詩だ、と思います。素的。
ずっとわかりあいごっこが続けばいいのにと思いました。たとえごっこでもね
なんとビジュアルが女体なんだよなぁ。はだかになってわかり合ったつもりでも、見たままに相手や感じたままの相手って結局は自分でしかなくて、ほんとの相手かどうかはあやしいんですよ。
で、やっぱり彼女の一対といえば音のあたりだよね。僕はぜったい。
あぶくもさん、やっぱやらしいなぁ。
@たちばなまこと
さん、コメントありがとうございます。
内臓みたいな森、すごいグロテスクな。いろいろと深く読んで頂き、嬉しいです。かっこよとほめてもらう詩行たち、大人の恋みたいな連。どれも愛され慣れなくてこそばゆいのにお代わりしたくなる。
@野鳥倶楽部
さん、コメントありがとうございます。
この詩を読んでいろいろ考えてくださって有り難いです。一対(ふたつ)の考え方やイメージは意外に沢山ありそうですよね。数式のように洗練された詩、こそばゆお代わりリストに追加しておきます!
@こしごえ
さん、コメントありがとうございます。
「器官を備えていること自体が、幸福なこと」って、ハッとさせられますね。「リアルなことと、リアルであることは ちがう」ということと、この詩がリアルな詩であると教えてくれたことを大事にして、詩とこの言葉を噛み締めてみます。
@花巻まりか
さん、コメントありがとうございます。
そうなんですよね、ずっとわかり合いごっこが続いていけば良いんです。どちらかが寂しさみたいなものを相手で埋め合わせようとしなければ。何でもだいたいのことが実はごっこなんだと思っています。
@王殺し
さん、コメントありがとうございます。
「ビジュアルが女体」には参りました、王殺しさんのやらしさに感服いたしました(笑)。見たままに相手や感じたままの相手って結局は自分でしかなくて、ほんとの相手かどうかはあやしいというのは何となくわかる気がします。