森
忘れ物をしたような気がする
真夏の
蝉時雨の
草いきれの
真ん中にある
屋根裏部屋に
忘れ物が何だったか思い出せない
好奇心を
不可思議を
絵空事を
常識と世間体に
掏り替えてしまったから
子供の頃は
森の出口が
なかなか見つからなかった
大人になってからは
森の入口が
どうしても見つからない
忘れ物をしたような気がする
真夏の
蝉時雨の
草いきれの
真ん中にある
屋根裏部屋に
忘れ物が何だったか思い出せない
好奇心を
不可思議を
絵空事を
常識と世間体に
掏り替えてしまったから
子供の頃は
森の出口が
なかなか見つからなかった
大人になってからは
森の入口が
どうしても見つからない
会員でない方は会員登録してください。
コメント
良い感じの森の入口ですね。
写真、すてきです。
現実は、少し違うのかもしれませんけど
子どもと大人の対比の仕方がこのみです
子供は、後先考えず飛び込んで、出口がわからなくなる。大人は、思慮深くなり、入り口で惑う。そうですよね。…たしかにそうだなあ。
夏の忘れ物が
心につっかえながら
年を取りました
いまでも、この時期は
夏に期待しながら
重い気持ちをもちます
あぶくも さん
>コメントありがとうございます
明治神宮西参道あたりの森です。
イチカワナツコ さん
>コメントありがとうございます
森というのは、私が幼少期を過ごした新潟の原風景です。
年齢を重ねる度に色濃く深くなっていくような気がします。
べけねこ さん
>コメントありがとうございます
今回はフィルターをかけてみました。
足立らどみ さん
>コメントありがとうございます
とっても個人的な森への憧れと畏れです。
長谷川 忍 さん
>コメントありがとうございます
今時の子供はもっと賢くてダンジョンなんてするすると出入りできるのでしょうね。
昭和の大人は、いつまでも出口だ入口だ、と湿っぽくこだわるのです(笑)
那津 さん
>コメントありがとうございます
夏の暑さと湿気はいつも古い記憶を蘇らせてしまいます。
懐かしくて少し切ない季節が今年もやってきましたね。
とりあえず、ジンのソーダ割で乾杯です(笑)
Nonyaさんの詩はいつも感覚に訴えかけるものがあってぞわぞわします。
深層心理を深くまで降りていける感覚です。
大人になると深くなりすぎて、最早入口さえも見つからなくなってしまう…。本当はもっと単純だったはずなのに。
素直になって、もっと単純に考えれば、案外すぐに見つかるものかもしれないですね。