死を含んでいる生
何のために生きるのか
と自問すると
切なくなるけれど、
生きるために生きる
と答えるしかない私は
詩というものを
書くしかないのだった。
詩とは、私にとって、
死を含んでいる生であるが故に。
しかし、
ここに重さはほとんど無い
私の生は
青空に浮かぶ
雲のようで。この日は天気雨
雨の下の青い花 濡れる。
天気雨きらきらとふりそそぎ、
雨上がりの青い花 戦ぐ
青い花は、
青い花のまま。
通り過ぎる
何もかもが
私を。
通り過ぎる
私が
何もかもを。
何のために生きるのか
と自問すると
切なくなるけれど、
生きるために生きる
と答えるしかない私は
詩というものを
コメント
後半特に切実さを含んでいく言葉の流れが良いですね。こしごえさんのメッセージは、ある種すべての詩人が抱えるもので、なんのために詩を書くのかと自問すると、詩を書くしかないからだと答えるしかないのでしょうね。
@トノモトショウ
さんへ うむ。うん。その通りなんですよね。トノモトさんが言ってくれた通りで私もそう思います。詩人は、いえ、詩人ならば、詩を書くしかない。んん、逆も言えるかな、詩を書くしかないから その人は詩人なのだ、と。まあ、この詩では、私個人の生き方みたいなものを書いていますが。
でも、トノモトさんがこの詩からそれらの思いを、もっと言えば詩人の思いをすくいとってくれている。トノモトさんが、詩人にとって、普遍的なことを汲んでくれていることを非常にありがたく貴重に思います。ありがとうございます。
そして、この詩のそういった言葉の流れを良いと言ってくれてうれしいです。
とても沁みますね。
詩の終わり方がまた絶妙で始めに戻って延々ループして読んだり思いを巡らせてしまいますね。
こしごえさんの一貫した死生観のようなものに、詩を通して触れられるのは有り難いことです。「重さはほとんど無い」ことと、「通り過ぎる」ことに共感を覚えます。
@あぶくも
さんへ 宿命、というものを私は信じてもいないしあまり好きな考え方ではないのですが、運命はあると思っていて、まぁ、自然(必然の世界)ですね。それで、詩の世界でならば宿命的な世界があってもいいかなぁ、と思えるんです。実際に私たちが生きている世界(宇宙)で宿命があるのか?というのは分からないんじゃないかなぁ、とも思っちゃう。でも、ね、詩人ならば、詩を書き続ける、という宿命があってこれが自然な詩人の姿ではなかろうか、と。
あぶくもさんが、私の死生観みたいなものに、詩を通して触れられるのは有り難いこと と言ってくれて、とてもうれしく貴重に思います。ありがとうございます。
うん、まぁ、死生観も人それぞれあるでしょうね。私の場合、死生観も複雑であります。でも複雑だからこそ、こころは出来ればシンプルにしたい。若い頃はどうだったかほとんど覚えてないし思い出したいとも思わないけど、最近は、生きるために生きる、と思いたいのです。生きることに他に理由が見当たらない。生きることも 人それぞれでしょうけれど、私にとって 生きる とは詩を書くことだけ。ただそれだけのこと。
その上で、あぶくもさんが それらのことに共感を覚えてくれて とってもありがたいです。
率直さが素敵です。
すべてのものが自分を通り過ぎていく感覚はわかるような気がします。
たまに立ち止まりながらも生きるために生きていきましょう。
@nonya
さんへ nonyaさんが、率直さが素敵と受けとめてくれて ありがたいです。うむ、そうですねぇ、生きる、ということにも人それぞれあるでしょう。日々生活していく上で、私は私の役目をこなしています。でも、それらは私にとっては 生きる ことにはならない。物理的なことも言ってはいますが、この詩で主に言いたいのは 精神的な生 のことです。
うむ、すべてのものが 通り過ぎていく感覚を nonyaさんがわかるような気がする と感じたり想像などしてくれて貴重でありがたく思います。ありがとうございます。
そう、そうですねぇ、そうです。たまに立ち止まりながらですね。そう言ってくれて ありがとうさま☆その時その時に、生きる ということが どう生きるかについて変化していても、生きるために生きたいです。はい、お互いに、生きるために生きていきましょう。