この冬のわたし
素敵にピリオドをうつ
冬のわたしは、こおりのように
刺さった槍は、抜けそうにない
ゴールの前の静けさ、のように
わたしは冬の全面に立つ
おごそかなシルエット、山は完璧な深海魚
それからさんさんと気球が登場する
乾かしておいた、ピタゴラスの定義が
乾燥機の中から現れる、そして語るには
ヒドラもしくは、ラビットとしての
中空の愛憎劇であるとしよう
わたしの冬は始まったばかりだ
ヘルソンの最低気温、こおった感情は
もはや冷凍の憎しみとも呼ばない
ハンガリーの国境ふきんで、気球は空に凍り付く
わたしは絵画の中に棲む、バイキング
そこから手を伸ばしても
ハルキウの赤い尻尾には届かない
さんざんなあかるさで、夜を語ろうか
君たちの手ははるかに冷たくなるだろう
一枚の紙から、ロジックは始まる
そこでは水牛の皮が干されているのだ
地下の防空壕の冷たい床に
ダンボールを何枚も敷いて、それでも
冬のわたしはここにいる。
コメント
冬の光景、情感、触感が、どこか形而上学的に語られている。そんな印象を受けました。
ハンガリーの国境ふきんで、気球は空に凍り付く/わたしは絵画の中に棲む、バイキング
このフレーズ、いいですね、惹かれます。
ありがとうございます、まったくこれらの人間の戦いに関与せず、ただ詩の言葉として利用していること、しかしまた生きている人間として、冬の寒さを感じること、ひそかに、ただひそかに、それを感じる冬です。