見れば

今は去る今を
今は無い今だが
今は常に今だ
今は私だ
過去の今も
未来の今も
私だ
今か

その日に
その人は死んだ。
私は生き残って今に至る。
その人の今は
何か
魂か いいえ
その人の体を借りていた魂の今は
その人の体を借りていた時から
この宇宙の魂と共にある今だ
こう思う今 私の魂も
この宇宙の魂と共にある今
ありがとう
悪も善もない宇宙へ。
その人は
私ではない
その人は
もう居ない
けれど
その魂は
そこに在る
雨が石畳を打つところに
道端の草が風にそよぐところに
月が光る夜空に・・・・・・。
あらゆるところに
その魂は在る
ずっと

投稿者

コメント

  1. このような思想は昔からありましたし、こしごえさんも私もそしてその他の人々も、一度はこのようなことを考えたことがあるでしょう。しかし現代ではそれが、単なる空想や、あるいは哲学や宗教である、だけでなく、科学的な角度から考察がなされています。私たちは直観的に、唯物論は何か変だ、と感じています。しかし近代の未熟な科学ではそれを否定できないため唯物論的な虚無感に侵されやすいですね。私たちは、この詩に描かれているような、反唯物論的な直観にすがって良いのだと思います。いつか科学がもっと進歩すれば、このような思想に追いつくこともあるかもしれませんがそれまでは。

  2. @たかぼ
    たかぼさん コメントありがとうございます。
    うむ、そうですねぇ、むつかしいことは私には分かりませんが、今さっき広辞苑で、「唯物(論)」と「唯心(論)」を読んでみました。うんうん。
    私が(も?)思うに、唯物論と唯心論の、どちらか一方「のみ」で語ろうとするから、おかしくなるんじゃなかろうかと思います。まあ、たかぼさんなら、その辺も分かった上でのコメントだと思います。
    魂のこと(?)などが、科学的な角度から考察されているというのは、とてもいいことですね、興味あります。
    でも、この宇宙が生まれたから物質(物体)が出来たとして、それ以前は無だったらしいですね。そして、何かしらのエネルギーから宇宙が生まれたと聞いたことがあります。なので、魂とか愛とかってあると思う(思う)。でも、それをつくった(生んだ)のが神だとして、(うろ覚えなんですが)ホーキング博士も自著で言っていたような気がするけど、その神を生んだのは何か?っていう永遠の謎が浮かび上がると思う(思う)。←言っちゃなんない事ですが、(私が詩人だとして)詩人だから言っちゃうのですけどね。ふふ。
    まあ、私の書いたものは詩であって、宇宙物理学とか科学とかの論文などじゃないので、と言えば何かですが、いいの。ふふ。おもしろければ、と言っちゃう。ふふ、この詩を読んでくれたお方がおもしろがってくれればそれで十分です。
    なので、たかぼさん、ありがとうさま♪(^-^)

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