侘助
湯島天神の境内を抜け
急な石段を下りる。
路地に入る手前で
花を目にした
淡い桃色
閉じ気味の花びらが
曇り空と虚ろい合う。
立ち止まる人はいない
誰もが石段の上にある賑やかさに
顔を向けている
傍らを追い越していく。
花を知ったのは
最近のことだ。
以前にも見かけていた
立ち止まったことがあった
名を知り
含羞が湧き起こった。
出逢ったことの
寂しさか
柔らかさの内に孕んでいた危うさを
握りしめてしまったような。
境内には戻らず
不忍池のほうへ足を延ばした。
*
今年は春が早い。
一緒に過ごした月日を遡ってみた
形にすらならない午後もある
雲間から、陽が滲んだ。
コメント
「虚ろい合う」って表現が良いですね。
侘助=侘しさが寂しさ・危うさを発露させて、景色や季節を広げている感じがしました。
トノモトショウさん
侘助は、椿に似た花で、早春に咲きます。静かな風情があります。この花の姿に、男女関係を少し絡めて書いてみました。
形にならない午後もある
素敵な言葉です
生活がそのまま詩になっているようです
長谷川さんの街の描写は、どこかまろやかに思います。
すーっと入っていける世界が日常とは解像度が違っていて、自分には言葉にならないことが、ありました。
那津na2さん
ありがとうございます。追憶の想いを表現したいという気持ちがありました。生きていくことへの、哀しみのようなものかもしれません。
たちばなさん
詩を書こうとする時、いつも街の情景が脳裡に浮かび上がってきます。街を歩いている時、何となく詩のことを考えています。
timoleonさん
風景、情景を描くことの難しさを、詩を書いていて痛感することがあります。おそらく、心象が重なってくるからなのでしょう。
長谷川さんらしい歩行の風景が見えるとともに 詩人とは、ひとりでじっといることだ という堀口大學直筆の言葉を思い出しています。
服部さん
詩人とは、ひとりでじっといることだ。佳い言葉です。言葉を紡ぐ時、自分自身の内なる世界にじっと耳を澄ませているところがありますね。
どこかさびしげな、ぬくもりを持った足取りでした。
初めまして。美しく全体に描写された風光が目に浮かびます。特にこれら「出逢ったことの/寂しさか/柔らかさの内に孕んでいた危うさを/握りしめてしまったような。」「形にすらならない午後もある/雲間から、陽が滲んだ」が好きなところですてきです。
あまねさん
出逢いは、嬉しさと、時に寂しさが混じり合っているのかな、などと考えることがあります。人との出逢いなら、なおさらですね。
こしごえさん
こちらこそ、初めまして。コメントをありがとうございます。花との出逢いを、男女関係になぞらえて書いてみました。散歩詩のような感じでしょうか。「形にすらならない午後」は、遠い追憶の風景かもしれません。