頭上の鐘の音
少年はまだ少年で
世界の全ての虚飾性に気付くはずもなく
The sound of bell above his head
ある晴れた日曜の午後
教会で殺人事件が起きたという噂で
花屋の大きなおばさんも
靴屋の小さなおじさんも
みんなが揃って口々に
探偵気取りの推理を始めた
「殺されたのはシスターで」
「いや、死んでいたのは犬だった」
「殺したのは八百屋の伜で」
「いや、キリスト様の天罰だろう」
「凶器はバールのようなもので」
「いや、散弾銃でぐちゃぐちゃだ」
「動機は保険金目当てで」
「いや、むしゃくしゃしてやったのさ」
どうにも収拾がつかないもので
鼻息と拳骨が渦巻いて
喧騒と暴力は言い訳じみて
……
ただ少年が一つだけ確信したのは
花屋の大きなおばさんが
靴屋の小さなおじさんに
恋をしているということだけで
ところで事件の真相は
殺されたのは母親で
殺したのは少年で
凶器はナイフで
動機はなし
それだけのこと
鐘が鳴って終わり
[TONOMOTOSHO Rebirth Project No.064: Title by 璃楽]
コメント
二律背反は世の中にあふれかえっています。特にこのコロナ下でそれは顕著で滑稽ですらあります。
本音と建て前でも恋の駆け引きでもなんでもいいんですが、大人の世界はまずわかりにくいし醜悪にも見える。
やがて少年も身に着けていくのでしょうが。
さて僕にかかればこの事件、こう説明しますね。
殺されたのは教会のシスターである母親で、まぁそれはずるんずるんのひどい殺され方をしたんだろう。
殺人の理由なんてこの世のどんな事件も全部後付けで、ただほかの者が納得したいがためだけに決められるのだ。
花屋の大きなおばちゃんも靴屋の小さなおじちゃんももちろん殺人事件なんてどうでもよくて、すべからく人間はきっかけを待っているのさ。きっとおばちゃんの大きな尻の下におじちゃんはすっぽり嵌まり込むんだろうな。やがて町中に響く喧嘩をちょくちょくするんだろう。
犯人の少年はもちろん母親が好きだったが、母親は彼がまだ幼き頃八百屋の旦那を捨てて尼さんになっちまった。
ある時少年はいまどき簡単にアクセスできるえげつない動画を見てからどうにもこうにもおさまらなくなってね。
少年が見上げた空はそりゃあ青くって、太陽がかざした手をも赤く透過させる。
少年はブチの雑種犬。おすわりもおかわりも待てだってできたけどね。もしかしたら蓄音機の前に座ってたかも。
でもきっと”月曜日が嫌い”だったんだな。
カーン。
あ、鐘いっこだ、あらやだ恥ずかしい。失礼しましたおよびじゃなかった退場します。
古畑任三郎でした。
動機は無いのかー、と喪失感が残ります。
恋だけが少し煌めいている。
汚れた虚飾にまみれた自分は、思考停止の先を考えてしまうのですが、まず「バールのようなもの」というパンチラインが入って、志の輔的な噺の系譜で笑ったのと、曲調はアローンアゲインなんだけど、終わったあとジョンレノンのマザーでした。
逆説的な意味で、芥川龍之介の短編「藪の中」を連想しました。真相は、わかるようで、でもわからない。人間は、不可解なものです。
あゝ無常、というか唐突に終わる感じが逆に深みに誘ってきます。もう一回鐘が鳴ったら、違う物語が始まったりするのかな。それもまた鐘が鳴って終わりになってしまう。
シャッター音とか録画終了の音を思います。
切り取られて、切り取られて、自分がどこにいるのかわからなくなってしまうような感覚にも呼び込まれました。