午後のつまり
(一)
声の止み間
剥がれていく後翅
読みかけの白地図を
擦りガラスの中に戻すとき
鳩は父親のまま
音のでない
亡骸になった
(二)
魚介の背に
夏のような虫がとまり
ゆるやかな風が
受話器を取ると
午後のつまり
草いきれはほつれて
溶けていく氷
(三)
種になってすぐの
多年草の破裂音が
戸棚にありふれている
ピクニックはまだ
生活の一部なのに
教員の瞳の奥で
木漏れ日が閉じる
(四)
水を話す
シスターは風車を
波間に秘匿する
扉を開けてはいけない
砂礫が人に降り積もって
とても久しい
午後のつまり
(五)
排水機場の洗濯物が
失われた口笛に揺れ
またひとつの鼓動になる
終わるものも
終わらないものも
ただそれだけの声
光に収束していく
コメント
午後のかすれの、解放されるべき絵画だと言い、シスレーの後ろから、すさまじく絵筆にとらわれる、ことあるごとに、膝まで描くのだと、おしまれてある、我が膝の布のほつれ。 いとも美しいスタイル。
詩は文学なんだなと感じました。
初夏の日差しと風を感じました。
>終わるものも
>終わらないものも
>ただそれだけの声
いい意味で引っかかりました
まさにそうだなと。。。
@坂本達雄
坂本達雄さん、コメントありがとうございます。
いただいたコメントからまた新たなイメージが産まれて、今、ものすごく何か書きたい!という感じです。
ありがとうございました。
@wc.
wc.さん、コメントありがとうございます。
記憶が確かならば、このコメントは以前wc.さんの詩へのコメントで私が書いたものかな、と。
文学って何なのだろう、と自分に問うとき、今、一瞬頭を過ったのは「不定形」。特に意味は何も考えていないけれど。
@nonya
nonyaさん、コメントありがとうございます。
暑くなってきましたね。私の執務室は冷房の効きが悪く、すでにもう気分が悪いです。
最近、耳からの情報に嵌っています。何て奥深い世界なのだろう、と。
若いころには気づいていたらな、とちょっと残念な気持ち。50代最後の夏です。