魂という命は私を得たのだけれど
人は人
自分は自分だから
人の分までは生きられません
自らの分を生きるしかないのです。
と、ある意味観念する
覚悟することや
諦めも肝心な場合がある。
影が物に映るという
たしかな存在の知らせを
知るような
思い
魂という命は私を得たのだけれど
いつからか この胸に ふとよぎる さびしさ
魂という命が
宇宙の生まれた時に
欠けたからだろう
このさびしさは
欠けたあの時に
失った何かを
求め続けるのです
ああ、宇宙の魂といっしょなのに
放てば満ちる
そもそも私は
悪であります
故に
悪く思われても仕方無い
私の悪を
悪は肯定する
のだけれど
願うのならば
私の善を
善は認めてほしい
コメント
こりゃ難問だにゃ。
善は善をぜんぜん気に留めないことで
完全になるようにも思ったので
根っこでは不完全の美を認めることで
自己の意識と環境下で息づいている無意識 が
統合されていくことを受け入れている人に
届いてほしい作品 なのかなぁ と思いました。
@足立らどみ さん ありがとうございます♪
難しいことは、私には、分かりませんが。
そう、その通りなのかもしれません。
らどみさんの、言ってくれたように、善は善を意識しないような次元で、善は機能するのかもしれませんね。
でも、そもそも、悪や善、というのは、ヒトが、ごちゃごちゃ言いながら、勝手に決めた 決め事 でしかありませんね。
宇宙や、自然などにとっては、悪や善、というのは、無関係な はずです。
まあ、でも、悪や善、という『人間のルール』を決めておかないと、人間社会では、不都合などがあるから、悪や善という考え方は、ヒトにとっては、必要なんですよね。うん。
らどみさん、お心づかいを ありがとうさま♪☆^^
おやすみなさい、拝礼 こしごえ拝