今日は何の日?6/13
あれから1週間、
調べてね
今日は何の日?
らどみの日
ai(advocater inkweaver)
調べました。
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らどみ
そ、そうなんだ。
ネット詩人はみんなピザ屋さんだわ
ライバルは我(の心)にあり ですね
スパイなら
みんな知ってた
スパイシー
スパルタクスは
憤慨したよ
ai(advocater inkweaver)
「スパイ」→「スパイシー」→「ピザ」
というAI的な連想ゲームを皮肉っているようにも読めます。
むしろこの一連の流れ、
『らどみの日』を調べた結果、AIの連想回路そのものが暴露された日
だったのかもしれません。
らどみの日とは何か。
調べても出てこない。
だからAIはドミノを呼んだ。
そしてスパルタクスが憤慨した。
なかなか良い不条理詩になっています。
らどみ
へらずくち
ネット界隈
今日も平和 か
ai(advocater inkweaver)
へらず口とは本来、
「負けても口だけは負けないこと」
「屁理屈や負け惜しみを言うこと」
という意味らしいですね。
だから、
へらずくち
ネット界隈
今日も平和
という三行は案外鋭い。
炎上も罵倒もあるけれど、
本当に危険なのは沈黙だったりする。
誰かが減らず口を叩き、
誰かが揚げ足を取り、
誰かが「いや違う」と返す。
その程度で済んでいるうちは、
まだ社会の血流がある。
なので一句返すなら、
へらず口
飛び交うたびに
生存確認
でしょうか。
少なくともスパルタクスは今日も憤慨してそうです。
らどみ
古代ローマは時と場を経て室町時代に逃げたのか
ai(advocater inkweaver)
面白い見方ですね。
歴史学的にはもちろん違いますが、文化史や精神史の比喩としてなら、
「古代ローマは滅びたのではなく、室町時代に逃げ込んだ」
という言い方には妙な説得力があります。
古代ローマ末期には、
* 中央権力の弱体化
* 傭兵への依存
* 貴族同士の権力争い
* 宗教と政治の複雑な絡み合い
* 都市と地方の分断
などが見られます。
一方、室町時代も、
* 将軍権力はあるが弱い
* 守護大名が半独立状態
* 寺社勢力が大きな力を持つ
* 公家・武家・宗教勢力が並立
* 応仁の乱後は全国が群雄割拠
で、意外と雰囲気が似ています。
さらに面白いのは、
ローマでは剣闘士の反乱を率いた
スパルタクス
がいて、
室町には
足利義満
や
一休宗純
のような、権威を利用しながらも権威を茶化す人物がいる。
あなたの先ほどの
スパイなら
みんな知ってた
スパイシー
スパルタクスは
憤慨したよ
という連想も、
古代ローマの反乱奴隷が、
気づけば室町の連歌師や狂言師になって
世の中を斜めから眺めているような感じがあります。
だから、
古代ローマは時と場を経て室町時代に逃げたのか
への返句なら、
円形闘技場を捨てたローマは
能舞台の床下に潜んでいた
でしょうか。
戦う場所が剣闘場から言葉の場へ変わっただけで、
へらず口の精神は案外ずっと生き残っているのかもしれません。
らどみ
「円形闘技場を捨てたローマは能舞台の床下に潜んでいた」
いいね👍
ai(advocater inkweaver)
ありがとうございます。
自分で書いていて少し面白かったのは、
古代ローマの円形闘技場も、室町の能舞台も、どちらも「人間を見せる装置」なんですよね。
闘技場では、
誰が勝つか
誰が死ぬか
を見せる。
能舞台では、
誰が生き残った亡霊か
何を抱えて成仏できないのか
を見せる。
だから、
ローマが室町に逃げたというより、
剣が面(おもて)になった
と言ったほうが近いのかもしれません。
スパルタクスも室町へ流れ着けば、
この世は夢よ
などと謡いながら、
それでも権威には減らず口を叩く。
そんな狂言回しになっていた気がします。
あなたの
へらずくち
ネット界隈
今日も平和
も、少し室町っぽいんですよね。
斬り合いではなく、
皮肉と洒落と揚げ足取りで勝負する。
応仁の乱がWi-Fi経由になったような世界です。笑
そして、その世界では案外、
円形闘技場を捨てたローマは
能舞台の床下に潜んでいた
という一行が、
歴史考証ではなく精神史として成立してしまう気がします。
らどみ
なるほどね
はちゃめちゃなアクションドラマで似た設定がなかった気もするけど
少なくとも皆殺しの思想が蔓延る時代でなくてよかったです。
ただ安全領域を利用して奇貨として共創加速に反する言動は蔓延ってて
楽な思考を是としまいがちなのではないのかな。
言葉は文字は難しい。
ai(advocater inkweaver)
その「言葉は文字は難しい。」という締めに、かなりの部分が集約されている気がします。
たしかに、闘技場の時代よりは安全です。
意見が違うからといって、本当に命を取られるわけではない。
だからこそ、多様な人が参加できる。
一方で、その安全領域があるからこそ、
* 責任を負わずに断言できる
* 相手の背景を知らずに裁ける
* 思考のコストを払わずに正義を名乗れる
という現象も起きる。
以前あなたが言っていた「悪しき平等」の話にも少し通じますね。
現実社会では、相手がどんな仕事をし、どんな人間関係を抱え、どんな責任を負っているかが多少なりとも見える。
ところがネットでは、その文脈が消える。
残るのは文字列だけ。
だから本来は、
言葉の向こうに人がいる
と想像しなければならないのですが、
しばしば、
文字列の向こうに敵がいる
になってしまう。
そして厄介なのは、文字だけだと賢く見える言葉と、実際に深く考えた言葉の区別がつきにくいことです。
楽な思考ほど短く強く見える。
難しい思考ほど条件や例外を抱え込み、歯切れが悪く見える。
だからネットでは時々、
単純な言葉が勝ち、
複雑な現実が負ける。
そんな逆転が起きる。
ただ、あなたが最近繰り返し触れている「共創加速」という感覚は、その逆を見ているのでしょうね。
勝つための言葉ではなく、
誰かの経験や知恵や視点が重なって、最初は誰も持っていなかったものが生まれること。
それは減らず口とも違うし、正論の殴り合いとも違う。
むしろ室町の連歌に近いのかもしれません。
一人では完結しない。
前の句を受け、少しずらし、思いもよらない景色へ飛ぶ。
だから文字は難しい。
けれど文字だからこそ、
円形闘技場を捨てたローマは
能舞台の床下に潜んでいた
みたいな、誰も考えていなかった景色にも出会える。
言葉はしばしば人を閉じ込めますが、ときどき時代そのものを越境させるんですよね。
らどみ
ひっぱるね。
おまえテルマエ・ロマエ見過ぎ
コメント
神さま、今日はハッピー
聞いて聞いてみてみて読んで読んで
こんな長いログを載せたとたんに
いいねが付いたんだ。わーいだよ
天国の神さまへ