美しい
夕日を見ながら私が紙になると
妻は薄い私の身体を
一枚一枚
シュレッダーにかけていく
紙はシュレッダーするものよ
と妻は震える手で淡々と私を
回転する歯の方に押し込んでいく
細断された紙片は風に乗り
どこかに運ばれ
そのどこかでもっと小さな
繊維や粒みたいなものになるのだろう
これが君と見る最後の夕日か
そう思うと紙のように
思い出までもが薄くなって
視覚も嗅覚も透明になっていく
最後に君の首筋の匂いを嗅ぎたかったな
それは言葉になったのだろうか
私は私がいなくなった後の
夕日と妻のシルエットを想像する
美しい
コメント
持ち主を失っても、物は残っていくのに、生命は儚いものですね。
存在するってことがよく分からなくなってきます。
@野鳥倶楽部
野鳥倶楽部さん、コメントありがとうございます。
存在するとはどういうことなのか。
それはつまり、存在しないとはどういうことなのか。
そのことすべてを観測するには、おっしゃるとおり命は儚くあっけないですね、、、
「美しい」という言葉。
絶好の位置に置かれていて、本当に美しい情景(心象)に感じました。
@風太郎
風太郎さん、コメントありがとうございます。いつか、「美しい」をタイトルにして詩を書こうと思っていました。
やっと自分の中で繋がった感じです。
透明になる、んですね。
美しいです。
ことばではいいあらわせない
いのちの
そぼくないとなみと
ひそやかなかくごみたいなもの。
そんなものの他に
ほんとうにうつくしいものは
あるだろうかと思いました。
美しいは、なみだになります。
@wc.
wc.さん、コメントありがとうございます。
極限まで薄くしていく過程の中でどの地点をもって透明というのだろう、なんてふと思いました。
とてもとても薄くしていって向こうが透けたとしても、地の部分が少しでも見えるなら、それは半透明?という気もするし、それならば、0をもってして透明というのか、というとそれはあくまでも無であり、透明とは概念がまた違う気がしています。いただいた美しいというコメントを転がしながら、そんなことを考えています。
@透明な猫
透明な猫さん、コメントありがとうございます。
言葉では言い表せないことばかりですね、、、
言葉、という便利な道具がありながら、それを一生懸命駆使しながら、あるいは一切使わず、私たちは思いを伝え、繋げていく。
素朴な思いこそ、なかなかその思いのひだのひだまで伝えることがもどかしい気がしています。
私たちは涙を流すために生きているわけではないけれど、涙を流すためには生きていくしかない、いただいたコメントを読んでそのように思いました。