光と影と
まばゆい光を受ける背後には
影が伸びていると
貴方はいつ気がつきましたか
気づいたが最後
有るものを無いものには
出来ないため
光の中にいる愉しさを
僕はもうひたすらに
喜んではいられなくなりました
まばゆい光に
目をすがめながら
己の踵の影の中にある
その小さな草花が
気になって仕方ないのです
気づいたが最後
この憂いもこの淋しさも
無いものにはできず
子どもの時のように
ただ愉しむことが
僕にはもう出来ないのです
この光は
あまりにまばゆくて
空しさが心に広がるのです
この光は
僕の踵の影を
いっそう色濃くするだろうから
コメント
光あっての影、ですね。
強すぎる光には、濃い影が出来ます。私は、思う。影も自分の一部であると。この影を受けいれて、認めることにより、自分のこころは、より自由になる。そう思いませんか。
まあ、自分が持っている、光も影も、複雑に絡み合っているとは思いますけどね。だから、一概には言えないでしょう。
それでも、影も自分の一部ですね。うん。
この詩は、こころの葛藤が見られて、そこの物語性と主人公の思いなどに、臨場感があり、すてきな詩だと思います。
@こしごえ
様
コメント、ありがとうございます。
「自分のこころは、より自由になる」、自由という捉え方、素敵です。
影の存在を認めることは、ある種の諦めと私は考えていたのですが、自由、素敵です。
大人になるにつれ、色々と認めざるを得ない事実が出てきますが、なるほど、物事を知るというのは、視野が広がる分、自由が増すということかもしれません。
素敵なお言葉、ありがとうございます!
生まれたての時は、100パーセント光の成分だったものが
時を経るにつれてだんだん影が増えていくように自分は感じます。
でもまだわたしは折り返しの真っ暗なところへ到達していないのかな、とか
影の部分が広がることは悪いばかりではないなと
いろいろと考えることの出来る作品でした。
@kフウ
様
コメントありがとうございます。
成長するにつれ、色々な事を知ることは、同時に影を知る事だと思います。
無邪気に光ばかりを喜んではいられなくなりますが、影を知るからこそ、いっそう眩しく感じられるのかもしれませんね。