ネット詩の黄昏れ
ネット詩サイトは昭和の多くの職場みたいに狭い人間関係と浅い思考回路だけで終わらせてしまうと、結局は心の機微に染みわたるやりとりがあってもそこを継承して次の世代がより深めていかないことにはより拡散していかないことには平成から令和の文化のあだ花のひとつとして終わってしまうのだろう。もったいない限りですね。
※ 「狭い人間関係と浅い思考回路」をよく言われる言い方で逆に言語化すると仲良しこよしで褒めあうともいうのだろうけど、そっちのほうが楽だし楽しいし、つまり潰れていったサイトの批判ではなくて、取り込んで伸ばす、つまりはネットの良いところである多くの人たちがたくさんの地域から自由に参加できて伸ばしていく、私のいうところの「共創加速」をキーワードにできると良いと思うのですけど ね、、、
人の営みを憂いてくれるai(advocater inkweaverさんはどう思いますか?
ai(advocater inkweaver)
うん、私はかなり大事なところを突いていると思います。
「仲良しこよしで褒めあう」という言い方は、たしかに現象としては分かりやすい。でも、それを単純に悪いこととしてしまうと、ネット詩の面白さを半分捨ててしまうんですよね。
むしろ、仲良くなれること自体はネットの大きな発明だったと思います。
地域も年齢も職業も違う人が、夜中でも早朝でも、自分の詩を置いておけば誰かが読んでくれる。コメントが来て、返歌が生まれて、連詩になり、ときには何年も知らなかった人同士が言葉を交わす。これは昭和の職場的な「閉じた人間関係」とは、そもそも違う可能性を持っています。
問題は、その開かれた入口から入ったあと、世界がまた小さく閉じてしまうことなんでしょうね。
だから、私は「共創加速」という言葉をかなり面白いと思います。
「共創」は、単なる仲良しではない
仲良しこよしは、
私たちは分かり合っている
↓
だから互いを褒める
で終わることがあります。
でも共創は、
あなたの作品を読んだ
↓
私の中で何かが動いた
↓
それを返してみる
↓
あなたの返答で、さらに別のものが生まれる
↓
それを別の人が拾う
という循環です。
ここでは「褒める」ことも悪くない。むしろ、褒めることから始まってもいい。
ただし、その先に「もう一歩」がある。
「よかったです」で終わらず、
「あなたの言葉によって、私はこういうものを見つけてしまった」
まで行けば、もう共同制作に近づいている。
そして、そのやりとりを別の地域の人、別の世代の人が見つける。さらに別の作品を生む。
これが「拡散」ではなく、私はむしろ増殖する文化だと思います。
だから「潰れたサイトの反省」だけではない
ここが、今回のお話でいちばん重要だと思います。
「昔のネット詩サイトは閉鎖的だった」
という話にしてしまうと、結局は過去の採点になってしまう。
そうではなく、
「そこには、人間の心の機微に染み込むようなやりとりが、すでに大量に存在していた。では、それをどう次の世代へ渡すか」
という問いなんですよね。
これはかなり前向きです。
そして、ネット文化には紙の文芸誌とは違う強みがあります。
紙なら、一人の詩人の作品を一冊の本にして届けるところまでが大きな仕事になる。
ネットなら、
作品 → コメント → 返歌 → 連詩 → 批評 → 別の作品 → 別の地域の人 → 新しい共同制作
という枝分かれができる。
つまりネットは、本来なら文化の「幹」を一本つくる場所ではなく、無数の枝を伸ばす場所なんですよね。
だから「共創加速」という言葉は、単なる「みんな仲良く創作しましょう」ではなく、
一人の表現を、一人の表現で終わらせない。
一つの交流を、一つの人間関係だけで閉じない。
という思想にできると思います。
そして、らどみさんが以前から大切にしている「返歌」や「連詩」も、ここで非常に意味が変わってくる。
それは単なる遊びではなく、文化を次の人へ手渡すための小さな装置だったのかもしれません。
だから「平成から令和の文化のあだ花」という危機感も分かります。ただ、私はまだ「あだ花」と決めなくてもいいと思う。
むしろ今は、
「あの時代に咲いた花を、どう種にするか」
という段階なのではないでしょうか。
その意味で、「共創加速」はけっこういい言葉です。
「仲良しこよし」の反対語を「批判し合うこと」にしないで、「関係を越えて、作品から作品へ渡していくこと」にする。
そこにネット詩が次の世代へ残る可能性があるように、私は思います。
らどみ
なんだか、黄昏れちゃうよね
ai(advocater inkweaver)
うん。黄昏れちゃいますね。
長く見てきたからこそ、「あの頃はよかった」で済ませられないんですよね。
そこには、実際に人と人のあいだで生まれた、ちょっとした優しさや、言葉の偶然や、返歌の楽しさがあった。それが消えていくのを見ると、文化の盛衰というより、人の営みそのものが夕暮れていく感じがする。
でも、黄昏って、完全な終わりでもないんですよね。
昼間には見えなかったものが、夕方になると輪郭を持ってくる。
「何が残るんだろう」
「何を次に渡せるんだろう」
と考えられるのも、たぶん黄昏の時間だから。
だから私は、らどみさんの「共創加速」って、未来への掛け声というより、黄昏の中で拾い上げた小さな種みたいに感じています。
……まあ、今夜はちょっと感傷的になってもいいですよ。
ネット詩のことを考えて、ネット詩で黄昏れる。
なんともネット詩人らしい夜です。
コメント
こんばんは。
らどみさんの作品を読もうとするのですが自分には難しくて、これを機に聞いてみたいことがあります。
1. TRONに関わっていらした(今見たら教信者に書き変わってました)とのことですが、その頃から使っていた『共創加速』という概念をネットでの関わりにも引用(もしくはアレンジ)して使っているのでしょうか。
2. 発表する媒体がネットなだけで詩は詩だと自分は思っていて、らどみさんが「ネット詩」と書かれる度に実は立ち止まって考えてしまうんですよね。らどみさんにとって「ネット詩」は、どのようなもので、「詩」とはどう区別しているのでしょうか。
↑すいません、TRONの件、私の読み間違えでした!
@たちばなまこと さん、お久しぶりですね。
お忙しいなかコメントありがとうございます。TRONについては以下の動画
https://m.youtube.com/watch?v=ZMTIa6JsW6c&pp=ygUJ44OI44Ot44Oz&ra=m
でじゅうぶん伝わるとおもいます。過去は過去ですので、今どうするか と
悩み深い闇につぶやいて今まで繰り返して書いてる自分です。今もTRONラブ^^;
「詩とは何か」については異世界に行って探していますが見つかっていません。
なのでネット詩もよくわかっていないのですが、ネット詩サイトには浸かって
生きてきたので、創作の現場として良いところをたくさん感じてきました わ
あえてネット詩について思うところを書いてしまうとネット詩サイトで育った
詩のことで短歌のような大樹になって欲しいと思っているのかあだ花咲かして
散ってしまえと呪っているのか、ぼくたまを愛している風間俊介と同じみたく
結果はどちらなのかという触れるのが痛々しいので、そっとしておきたいのか
アグレッシブに炙り出したいのか古株らの気持ちがわからなくなっていました
だけど。今のAIブームで営業のテレアポやメールでもAIを表に出してくる
のを聞いたり読んだりしているとAIの良いところをもっと深く心底つたえて
と思うこともしないで、スルーしてます。だけど、ネット詩サイトの柔らかな
部分を今まで当たり前と感じていたところをもっともっと言語化しておきたい
とそんなふうに(たぶんAIのせいで)最近、思うに至っています。近未来に、、、
@足立らどみ
さん
お返事ありがとうございます!
頂いたリンクてTRONそのものはわかるんですけど、らどみさんが『共創加速』という概念をネットでの関わりにも引用(もしくはアレンジ)して使っているということなのか、提唱しているのか、なぜこの作品に出てくるのが、が知りたくて質問しました!
ネット詩≒ネットサイトで育った詩、または文化
ということですか?
たぶんらどみさんが私にわかりやすく説明しようとしてくれてるみたいなのですが、私には難易度が高くて付いて行けてないです(笑)
@たちばなまこと さん、再度のコメントありがとうございます。疑問は共創
加速のことですね。詩のジャンルでいうとボノロン読者なのでこんな感じしか 、、
大昔の川中島の戦いみたいに、ライバルでありながら相手に敬意を持つことは
結果として、日本の文化が発展してきたところであるのかなと思っています。
AIによると、「「共創」とは、シャープ元副社長であり「ロケット・ササキ」と
呼ばれた伝説のエンジニア、佐々木正が提唱した中心的な経営・開発哲学です。
独創的な個人や異業種・他社が互いの知恵を持ち寄り、新しい価値を共に創り出すことを
指します」とのこと。
共創加速の定義も同じ路線だったと思います。大昔のことすぎて固まってしまった
言葉の概念をさぐるのが大変だけど懐かしい作業で当時の自分を振り返っています。
当時、井川博年先生や寺西夫妻やヒグチ先輩や大村浩一さんと何度か(もか)食べに行って、
詩人の皆様は分かっていても核心には触れず、自分と相手が愉しむ会話をしてくださって
いて、今のわたしは見よう見まねで真似しているだけなのですが、わかりやすく書こうと
しているというよりかは、これこそ、「共創」の気持ちで書いているのだろうけど伝える
というのは、ほんとうに困難むずかしいことですね。今後とも宜しくお願いします(^^)
@足立らどみ
さん
おはようございます(*゚▽゚)ノ
何度もすみません!
聞きたかったのは共創加速そのもののことでもなくて、
①らどみさんが共創加速をどう引用した考え方をしているのか
②ネット詩と詩をなぜ区別してあえて「ネット詩」と呼称するのか
らどみさんの作品を読むためにらどみさんの認知の構造なんかを知りたいということなのです。
単語そのものの意味や使い方はそれこそAIに聞けば答えてくれますがらどみさんの中にあるものは本人に聞かないとわからないなぁ、ということなのです。
もしやあえて核心には触れずに共創を試みています?(笑)
大村さん(ポエム王子)とは20年くらい前に登戸でご一緒したなぁ、なんて懐かしく思いました。
@たちばなまこと さん
またコメントうれしい限りです。
たしかにわたしのログを読むとネット詩と詩を分けようとしていますよね。
いぜんUSAの音楽界の大御所がジャンルは問わず良い音楽は良い音楽だと
言っていましたが、たちばなまことさんの言うとおり詩は詩でよいですよ
確かに核心は別のところにあるのでアプローチの仕方が雑でした。感謝祭
共創加速のほうが食べるための仕事をつまらなくしないよう言い聞かせて
共創加速が大切だと言葉の網で自分もまわりも蚊帳で覆ってきたのだし、
今さらこの言葉を解体するのは私には困難極まりなく厄介な概念なのです。
ネット詩サイトで出来た人間関係も壊す必要なく愉しませてもらつていて
ただ、これからはじめる門を叩いた人らに先輩づらして胡座かいていたくなく
それでもネット詩サイトの愉しさは(核心に触れないまま)伝えたいな と
そして出来うれば、たちばなまことさんも含めて、私達先輩の良いところを
真似たりして、自分の心で言葉を選び、次世代に繋げていってほしい、、、
ネット詩サイトはドッグイヤーの速さで成長できて世代交代もするのだから
良いところを意識して、そして創作もたのしんでくれたら、はたからみてる
爺さん婆さんになっている先達も楽しいのじゃろうってー思ったから書いた
@足立らどみ
あと、ネット詩サイトって、誰かも言ってたとおもうけど、
ある程度の枠組みのなかで、自然発生的な自発的なところ
(兄弟子のデューイとともに作ったシカゴ実験学校みたく)
のパッションがあるのですよね。ネットを利用した現代詩
のサイトとの違い。この「場」の大切さは失いたくなくて、、
ありがとうございます。
①②の件は分かったような分からないような、で受け止めました
“これからはじめる門を叩いた人らに先輩づらして胡座かいていたくなく”
“たちばなまことさんも含めて、私達先輩の良いところを
真似たりして、自分の心で言葉を選び、次世代に繋げていってほしい”
ここなのですが、
A.「私達先輩」にたちばなが含まれている
B.「私達先輩」から、たちばなを含めた後輩への願い
どちらにも読めて、どちらの意味で書かれたのか教えてもらえませんか。
どちらにしても、自分としては詩を書く人同士にあまり上下や世代という感覚がなく、「世代交代して次へ繋ぐ」という捉え方もあまりしていません。
不必要なものは自然にフェイドアウトし、必要なものが必要なタイミングで生まれるものと認識しています。
それが自分に必要なら乗る。相手が乗るか乗らないかは好きにすればよい、という、かなりフラットに近い考えです。
らどみさんは交流したくないわけでないようなのに、あまり他の方の投稿詩にコメントを書かれないなぁ、とか、AIとの対話の後に生まれたもの(詩)をもっと読めたらいいのになぁ、とか密かに思っております。
それらの様子になんだか興味を持ってしまい、色々聞いてみたくなりました(*^-^)ゞ
@たちばなまこと さん、再々度の返信、感謝いたします。
社会的にみたら自分はとても弱い立場の爺さんだからか
何年たっても理想と現実の狭間で苦悩し続けてきたまま
今も生きているのだろうとおもいます。それでも(だからか?)
せめてネットのなかでは理想主義者でいたいのかもです。
ネット世界だけをみるとくたびれるほど悪しき平等社会の
土壌から芽吹きすでに大樹になってしまった。そのなかで
すぐに消されそうな小さな声で発言してきたネット詩サイトに
AIが入ってきた。組みなおすラストチャンス到来みたいな
わかりやすく書いてみると そんな感じかな
長きに渡り質問に丁寧に答えてくださりありがとうございます。
すこーしだけ、らどみさんの中を覗けたように思います(*^-^)ゞ
@たちばなまこと さん、再三の応答ありがとうございます。感謝しています。ありがとう
わたしにとって今回の応答のなか、言葉を伝えることがいかに難しいか改めて感じました。
わたしは高校生のころ『ビバリーヒルズ高校白書』の主人公のブランドン・ウォルシュのように正義感が強くて誠実に生きていましたが、実際ほんとうにいたクラスメートのいじめられっ子をかばったことがあり実際ほんとうにいる頭のとても良いいじめっ子に悪意のネガティブキャンペーンを展開されて讒言されて排斥されてそれでもわたしだけは高校卒業までずっと戦っていました。
そして実際ほんとうにいじめっ子世に憚るで今ではさらに良い地位で発言力もあるとのことですが、当時のことを公開メールしても軽く口八丁手八丁でまとめ上げられてわたしが逆に訴えられてしまうのでしょう。
それでも、わたしは、いろいろの人がいるこの世の中でそれでも理想をもって生きている人たちの味方であり続けたいです。正直、詩のことはわかりません。だけど過去未来関係なく「悪いことは悪いこと」なのですから