安定不安定

いつだって不安なのさ
空想に身を置けなくなりつつある
しあわせはいつだってここにあるって
信じたい日と信じたくない日がある

あぁなんて不道徳なんて言うほど
みんな煩わない
あぁ僕はただただ欠落してただけだったのさ

でこぼこだらけの粘土を
どうにかしようとしたけど
もう固まってしまってさ
腕がもげちゃいそうな
小学生の工作のような

強さを蹴飛ばせるくらい
強くなりたかったんだ
今日は、その先の静寂を
受け入れる訓練なのか

安上がりなしあわせで
よかったんだってさ
今更気づいても
どうしようもないさ
この心は
おかしいくらいに複雑に捻り曲がって
屈折した自分を飾る言葉ばかり求めたんだ

何も意味づかない明日が
ただただ欲しい
奥歯の感覚が明瞭な歯磨きがしたい

あぁただ不安なんだ
それだけなんだ
それだけがどうしようもなく付きまとう
オクシモロンなんて
生活の言葉と資本の言葉が入り混じっただけ
モンタージュの中にも
そのテキストの上にも
どこにもないのさ

投稿者

東京都

コメント

  1. 風邪の症状が出ていた身ですがタイトルに釣られて一読させていただきました。
    基本「空白・余白・余韻」を利用して相手にフォローさせる作品ではないので詩を離れて文章としても好感を持てました残熱あるままで感想書かせてください。

    不安定を欠落への認識やオクシロモンやモンタージュで説明してくれて読み手も簡単に理解できて病後の身としては安定できてそのせいか、今まで読んできたネット詩として心の琴線に触れず共鳴版が鳴らないのは詩としてのパンチに欠けるのか私の風邪のせいなのかもとも思ったのですが、詩の言葉の重い門の前で、本来は論理的に語れる作者本人がそれでもアンビバレントな言葉を背負い込んだまま裸の撞着したひとみのままで辿り着いたときに上手くコメントできませんが門は開くのではないのかなと感じました。詩の重い門は、詩作品のなかでうまく説明できたときに開くのではなく、作者本人がその門の前で説明できなくなっているときに、ひょっとすると内側から開くものなのかもしれませんので、と、モゴモゴ、ゴホゴホ

  2. 風邪の中、ここまで丁寧に読んでくださってありがとうございます。

    「うまく説明できたときではなく、作者本人が門の前で説明できなくなっているときに、内側から開くのかもしれない」という言葉がかなり残りました。ある種の残酷さを以て出来上がる作品というものに、私自身興味があります。

    今回の詩は、不安を不安のまま標本にするようなイメージで書いていました。それで出来上がった詩もまた、何らかの機構に回収され、説明可能なものへと変換されてしまう。そのことを以前から問題視していて、『幼児健忘と表象』という拙詩集でも扱っていたものでした。

    感情を言葉にすることで救われることがある一方、言葉にした瞬間に、感情そのものとは別の「理解できる何か」になってしまう。さらに、それが作品として読まれれば、今度は文学や心理、思想といった既存の枠組みの中で整理されていく。そうやって幾重にも回収されていくうちに、最初にそこにあったはずの、名付けようのないものが消えてしまうのではないか、という感覚があります。

    そういう意味では、今回いただいた「門は、作者本人が説明できなくなっているときに内側から開くのかもしれない」という言葉は、その問題に対する一つの応答のようにも感じました。

    標本にしようとしたものが、最後まで標本になりきらず、分類する側の手からこぼれてしまう。そのくらいの地点まで作品を連れていけたなら、私が興味を持っている「残酷さ」にも、もう少し近づけるのかもしれません。

    長文失礼いたしました。どうかお大事になさってください。

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