生きるということは

生きているということは死に近づくということ
しかし
死に近づくということはそれまでの分を
生きられる
ということだ。ありがとう

日の出直前の東の空に影で黒い雲が
風で千切られて流されていく

あのひとのあの悲しみは今頃どこにあるのか
たった今も
あそこにあるのか
そのことを知りようもない私は
空き地に生えている草よりも
とぼしい
私のいのちは欠けている
故に満ちることも出来る

写真が写すのは真実か
私の目に映るのは真実か
終りがあることが救いになる場合もある
ある次元では真実を私は求めてはいない。
何を
どう思うかです
いのちがここにあるか
いのちがそこにあるか
いのちがあそこにあるか。

存在しているかどうかは
ここでは特に問題ではない
存在しているのだから
今は
ここに
一輪の花をじっと見つめる不在
無いということを思う

日はのぼり
部屋に光が射しこんできて
淡かった物が影を濃くする
「心配はしないで」
ほんとうは私は生きたいのだ。
そうか
生きているということは、変わるということなんだ。
生きるということは
いのちを思うこと
さまざまに
さまざまな
いのちを思うこと
ありがとう
生きるということは
ありがとう

手を合わせる

投稿者

コメント

  1. 自然とともに生きてる人の書いた詩だなと思いました。ところで、自然とは生きることと死のどちらなのでしょう?

  2. babel-kさんへ この作品を読んでくれた上に、そう言ってくれてありがとうございます。そう自然。自然という言葉には、いろいろな意味がありますね。自然とは、因果的必然の世界、とかですかね。まあ、あんまり難しいことは私には分かりませんが。
    ご質問の、自然とは、生きることにも死にも どちらにも言えることですね。生きることと死の両方があって、自然は成り立つと思います。自然であるということは、死を含んでいる生だと思います。ちなみに、私は、詩とは死を含んでいる生だと思っている者です。

  3. 日々の慌ただしさに呑まれ、生きることの意味を問うこともなく、生きています。きちんと立ち止まって、自らの生と向き合うことの大切さを、この詩を読みあらためて想いました。感謝の気持ちは、尊いですね。

  4. 長谷川さんへ 長谷川さんがこの詩を読んでこの詩の思いを汲んでくれて、その上こうしてご感想をくださいまして ありがたいです。ありがとうございます。
    実践はあんまり出来ていませんが、時々思い出して思う言葉が私にはあります。「行雲流水」という言葉です(広辞苑によると「行雲流水」とは、「空を行く雲と流れる水。すなわち、一点の執着なく、物に応じ事に従って行動すること」とあります)。まあ、私の場合、執着なくという部分は出来ていないとは思いますが、その都度その都度 臨機応変には、すこしだけなら出来ているかもしれません。
    長谷川さんが、この詩を通して、自らの生と向き合うことをあらためて想ってくれたことを貴重に思います。そうしてくれて、うれしいです。
    そうですねぇ、感謝の気持ちは「忘れる」時もありますが、「忘れ『去らない』」ようにしたいです。うん。

  5. あああさんへ ああ!
    あああさんが この詩を読んでくれて、そう言ってくれた上に、手を合わせてくれることを貴重でありがたく思います。ありがとうございます。合掌

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