彼
踵を天井に
鮪を寝床に
アナタと揺れた白昼夢は
案外 冷たいものでした
食べ尽くした肉体に
垂れ垂れる深海の滓
他には何も要らないから
どうか溺れさせていて下さい
形のない形
涙よりも涙
沈めた情が錆び付く様を
じっと眺めていたのです
まして二人を規定する元素は
生臭い浴室に広がって
それなりにしっかりした意識は
泥水を飲み干させるのです
本当は愛していたかったのに
本当は
[TONOMOTOSHO Rebirth Project No.033: Title by 咲間弥生]
コメント
恋の詩は、喜びの詩よりも悲しみの詩の方が多い気がします。どうしてなんだろう。嬉しい恋の時はそれ以上余分なものはいらないからかな。悲しい恋の時は悲しみを癒やす詩が必要だからかな。
詩から、さまざまな情景を想像してみました。その情景が作者の描いた情景と重なるかどうかはわかりません。張りつめた哀しみが、私の中に込み上げてきました。とくに三連目以降…。
たかぼさん、それは恋の成就というのはゴールだからじゃないでしょうかね。到達点はそもそも終点。
多くの生き物は恋を成就させるとその個の役割を終え死にます。カマキリなんて食われちゃったりね。
鮭なんかも愛のクライマックスに到達するとぼろぼろになってただ流されていく。
恋の成就が死の入り口なら、恋が成就せず泥水を飲み干したとしても、もし喜びや期待がまた訪れるならそれはまだ生が続くということかもしれない。