I’m hooked on U

我が国では丸々と太らせた大きな牛の刺しの入った油の乗った肉を食すのに対して、欧州などでは仔牛の赤身肉が好まれることもあり、相対的に上質なカーフつまり生後半年以内の仔牛の革が市場に出やすい環境にあると言えよう。カーフというものは小さきものは少なく希少となるがゆえ高級である。キップ、カウハイド、ステアハイド、ブルハイドと歳を追うごとに体は大きくなるため量はとれるものの肌理の細やかさなどは反比例して失われていくものである。飼育年数や雌雄の別、ましてやあろうことか雌なら出産を経験しているかどうか、雄なら去勢されて育ったのかどうかといった事柄が革の種類分けの判断基準となるあたりはたいそう野蛮なものである。しかしながら人間界で言うベジタリアンやビーガンなどの食文化の隆盛に伴う肉消費量の減少に比例して、世界的に革の供給量が減少していることは皮革産業の原価高騰を招いているという背景を見逃してはならないだろう。

さて、アッパーは仏国アノネイ社のベガノや独国ワインハイマー社のボックスカーフあたりは、肌理細やかで透き通るような佇まいでありつつ経年変化としては繊細な皺とブラッシングにより深みのある光沢で応えてくれる秀逸なものである。ライニングも顔料はおろか染料すら使わないナチュラルな牛革つまりヌメ革、それも丹念にベジタブルタンニン鞣しされたものなどを用いて、耐久性はもちろんのこと肌当たりの良さや吸湿性といった機能性にもこだわりを持つことをおすすめする。しかも履き込むうちにライニングのヌメ革そのものが飴色に変化していくのを見るのも楽しみのひとつである。

中底はその下に充填されたコルクが良い具合いに自分の足の形に沈み込みつつシャンクはしっかりと土踏まずからのアーチを支えてくれる。そういう点ではデザインのみならず自分の足長足囲に甲の高さも測定し革の馴染みを考慮してウィズを含めて自分の足型に合うラストの靴がどれなのかといった視点でしっかりとフィッティングした後に選び抜いた上で比較的タイトフィットで履き下ろしたいものである。しかしながら、つくりについては英国靴、米国靴それぞれにどちらの良さもあるもので何ともひとつには決めきれないのが正直なところである。

靴そのもののデザインに関しては、これまた大きく好みの分かれるところではあろう。ホールカットやプレーントゥなどのように革を血筋やトラを避けながら良質な部分だけを大きな面で使うことによる歩留まりの悪さが原価に影響を及ぼすものの、そういったデザインこそラストへのつり込みなど職人の腕の見せ所であるとも言えよう。グッドイヤーであれハンドソーンであれ、ステッチダウン、ノルウェイジャンであれ、腕利きの職人の技を身に纏うということは何とも心浮かび上がる心地がするものである。

フォーマルに内羽根オックスフォードにするかカジュアルに外羽根ダービーにするかどちらかひとつを選ぶことなど到底できはしないのだが、冠婚葬祭すべてに万能な内羽根ストレートチップについては一足は確保しておきたいものである。またそれがレベルソ仕立てなどされていようものなら垂涎である。一方で米国ホーウイン社のクロムエクセルを使ったダービーシューズをワークシューズ的に履き込んで茶芯を味わったりするのも乙なものである。

パンチドキャップトゥで華やかさを出すのはとても良いのだがパーフォレーションもメダリオンまでいくと時にやり過ぎ感もありクォーターブローグくらいが丁度良い好みである。ウィングチップのフルブローグなどは私としてはかつてから敬遠しがちである。若い頃ならまだしもロングノーズはもっとも避けたいところであり、尖りすぎたり反り繰り返ったりスクエアトゥや極端なチゼルトゥなんかよりも、心持ちラウンドしたエッグトゥが可愛らしいと思える今日この頃である。

こうなってくると軍物のサービスシューズやフラットソールのポストマンシューズあたりの気持ちぽってりとしたフォルムもまた一周回って中年の心をくすぐるものなのである。
7アイレットの黒靴にシューレースは茶色やカーキの平紐なんかで合わせることでさらに雰囲気を高めることができるだろう。

次に各所の仕上げであるが、コバは矢筈仕上げが気品良し。面取り目付けもしくはブラインドウェルトでボリューム感を抑制することを良しとするか、もしくはいっそのことストームウェルトやスプリットウェルトからノッチドウェルトなどそれ自体が装飾となりながら機能性を上げたものも素晴らしく迷いどころとなるのである。

バックステイは継ぎ目のないものよりもTバックもしくはドッグテイルが可愛らしい。ピッチドヒールでエレガントな演出をするのも捨てがたいもののカジュアルなら思い切ってトップリフトにはキャッツポウなどをあしらうことでデッドストック感のある装いを楽しむのもまたたまらないものである。

本底がレザーソールの場合にはソール自体が意匠を施す表現の場であり、カラスもしくは半カラス仕上げは履けば削られてしまうものではあるものの、それは咲いては散る桜のように儚さの美を堪能できるものでもあるし、焼鏝で入れられる刻印なども目を楽しませてくれるものである。また出し縫いを見せないように予め革を割いて被せるヒドゥンチャネルなどの手法は手間暇惜しまぬ奥ゆかしさの極みと言えよう。

なお、レザーソールに限っては履き下ろし前の時点でなるべく出し縫いを切らずに埋め込む形でビンテージスティールを取り付けることで新品特有の底の返りの悪さから来る爪先の摩耗を極力早い目に保護しておきたいものである。レザーソールの感触をある一定期間楽しんだなら早々にハーフラバーで靴底を保護してしまうのもひとつの手ではあると言えよう。しかしながら一方で、すり減りつつあるレザーソールに油分を入れながら水牛の角からなるレザースティックで毛羽立ちを押し込むようにしてメンテナンスしながら履いていくのもまた一興である。いずれにせよ、靴底が薄くなってきたら修理の合図ではあるためミッドソールやウェルトを傷めてしまう前にオールソールも視野に何らかの対処を施す判断が必要である。

このまま話はメンテナンスに移るのであるが、アッパーのメンテナンスにはシューレースを外しレッドシダー製のサイドスプリットタイプのシューツリーを入れた状態でまずは馬毛ブラッシングで埃を落とし、次にステインリムーバーで古い靴クリームやワックスをさほど力を入れることなく軽く擦り落とすことで化粧落としをした後のすっぴん顔同様の状態に戻すのである。ここから指もしくはペネトレイトブラシなどを用いてデリケートクリームで保湿をし、靴クリームで革に油分や栄養を与えた上で均等に浸透させるべく豚毛ブラッシングを手際よく行うのである。この時点で一度入り切らなかった余分なクリームを全体的に拭き取っておくのがよろしい。最終的には山羊毛ブラッシングなどを施すことで既にある程度満足のいく光沢を放っているはずではある。

しかしながらそれにも飽き足らず祝いの席の準備などさらに鏡面磨きを施す場合にはワックスを円を描くように少しずつトゥに塗り込み僅かに水分を少し含ませたネル生地などで素早く伸ばしながらこの工程を二度三度と繰り返すことで革の凹凸を埋めるように何層にもワックスの層を築いていくのである。それを踏まずのあたりから後方に薄く伸ばして繋げていき踵のあたりではまたしっかりと塗り重ね磨いていくことでメリハリの効いた立体的な光沢を得ることができよう。

またメンテナンスはアッパーに限らず、ライニングしかり、コバ、ウェルト、ミッドソール、アウトソール、ヒールリフトの積み上げなどにいたるまで、およそすべての革部材に等しく水分、油分の補給をすることが肝要である。ただし、何事もやり過ぎには注意が必要で、革にとって乾燥は大敵である一方で余分な水分油分もまた黴の温床となる危険も孕んでおり同様に注意が必要なのである。

かような長い工程を各々優先順位の異なる人生の貴重な時間を使って行うこと自体、それで悦に入れる人はそれでよろしいが、そこまでではないもののそれでも革靴が好きだという人もいるであろう。さようであればもう自身で行うメンテナンスは日頃のブラッシング程度とシューツリーを入れるくらいにしておいて月イチくらいの頻度で更なるメンテナンスは熟練の靴磨き職人たちに任せて、磨き上がった靴を肴にスコッチでも飲んでいるのが賢明というものである。

およそ沼とはその人その人にとって種類は異なれどかようなものである。隠語のような暗号のような、その沼でのみ生息する言葉たちはやがて何らかのエナジーもしくはポエジーを生みながら迎え入れた者たちを快感のままに真綿で締め殺すごとくに作用していくのである。そういう意味で、沼はやはり恋に似ているのである。

投稿者

千葉県

コメント

  1. 読んでいてだんだんと革靴の話らしいなと分かってきました。「バックスティ Tバック」で検索すると、あっちの方のTバックのイメージが目の前に多数繰り広げられまして、おおベリグゥ!となりましたがw、惜しみながら「バックスティ ドッグテイル」で検索し直すと、ようやく革靴専門用語集が出て来ました。御作は革靴専門誌あるいはPR誌にエッセイとして掲載されていても良さそうに思えてきました。最終連の存在で詩になっているという気もします。面白い作品でした。
    あと、文字数の多い散文詩が投稿されて実は安心しています。私も御作ほどではありませんが、文字数多めのを投稿する予定があるので。(読んで下さる方には些か恐縮)

  2. Yuzoさん、返信したつもりがボタン押し忘れてしまったようです。
    言葉で悪酔いしそうな感覚を狙ってみたのですが、このように盛大にスベるのも現代アートの妙味かも知れません。
    Yuzoさんのコメントに救われますね、ありがとうございます。

  3. この詩の裏側に、何だか、とんでもない暗喩が隠れているのではないか、などと勘ぐってしまったのでした。最終連目、意味深だなあ。…ちょっと怖い。

  4. 長谷川さん、ありがとうございます。
    その読み方、とても嬉しいです。内容が死んで何か別のものが浮かび上がってくれたりしていたら最高です。

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