きれいなこと
きれいごとを言うなと人を斬ったとき
かえす刀には己の汚れが血のりのままこびりついている
理想を語り悦に入る人がいれば
しかと観察し用心するがいい
蹠には踏みつけられた言葉たちが
張りついて蠢いているのを感じるだろう
12色でも24色でもかまわない
全ての色を同じ量だけ混ぜてみよ
決まって同じひとつの色になりはしないか
心を突き刺す極彩色は跡形もない泥濁色
それが多様性が溶けあった安心と調和の色だ
きれいは汚い 汚いはきれい か
空が真っ赤に燃えているとき
海は血の色に濁っている
きっとそばにはだれもいない今際の際で
この人生は きれいなことであったと
生まれて生きてあなたに会えて良かったと
私はそう思いながら死ぬだろう
いや、そうすることを決めているのだ
今日もまた海と空 境界線の溶けあうところ
海が空に吸い上げられるところを見ていた
夏は長きに渡り信じた古い嘘を暴きもすれば
陽炎揺らし眩暈のうちに本当のことをひた隠しにしたりもする
コメント
シェイクスピア、でしたよね。
どちらもある、波間に揺れるように、いったりきたり。「人間とは」と考えさせられました。
「海が空に吸い上げ~」のところがとても素敵だと思いました。
いつかの憧憬が瞼の裏に映し出されたような心地がいたしました。
この詩を拝読して、本当にきれいな物事って何だろうな?とこころの海をさまよう心地です。
人間には、きれいな部分もあれば、汚い部分もあるのだろうと思いますが、その汚い部分を出来るだけ表に出さないようにしたいし、きれいな部分を出来るだけ表に出したいとも思う私は、本当の意味では汚れています。まぁ、普段の私は短気だったりしますので、いつも謝ったり感謝したりしています。
生まれて生きてあなたに会えて良かった、というのは同感です。
あぶくもさんと出会えて、貴重でありがたくうれしいです。
長谷川忍という人間を、細かく切り刻み、すり鉢でゴリゴリ捏ねていったら、どんな色になるだろう? …想像するだけでもちょっと恐ろしくなります。同じように、現在の日本という国の、人間や、思想や、国土や、希望や、自然や、絶望や、重厚さや、優越感や、厭らしさ、軽薄さ、純粋さ、をすり鉢でごりごり捏ねたなら、さて、どうなるか…? そんなことを、この詩から考えてしまいました。
悦に入ってはいけません。物事のバランスを重視する長谷川にとって、理想の悦に酔うことは御法度であります。
@ぺけねこ
さん、ありがとうございます。
痛ましい時間が起きたり、自分がコロナに罹患したり、朝のジョギングではからずも蟻を踏み潰してしまったり、、、人間って、と思うことの多い日々です。あちら側もこちら側も見えてしまう(見てしまう?見えた気になってしまう?)ことも、良い面悪い面、両方ありますね。
@こしごえ
さん、ありがとうございます。
まさに、おっしゃる通り「本当にきれいなことって何だろう?」「それを考えることにも意味はあるのか?」というようなことがこの詩を書くきっかけだったような気がします。問いの設定自体が漠然と曖昧かも知れず、だからこそ今際の際まで持って行く問いなのかなぁなんて、思いますね。こういうことで少しでも響き合えることが有難いことだなぁと本当に思います。
@長谷川 忍
さん、ありがとうございます。
切り刻んですり鉢ですか。やっぱり同じひとつの色になる気がします。恐らく軍パンのオリーブ色がもっと霞んだような色です。そこから更に様々に思いを巡らせて頂けて、またそれを伝えてもらえてとても嬉しいです。
理想を話すのは気持ちが良いということを自覚できるかどうかって大事だなぁと常日頃から思いますよね。
切ないですね。心の中のきれいになりたい
光の部分に訴えかけられているように思いました。
きれいは汚い 汚いはきれい…アルチュール・ランボーの「永遠」を初めて読んだときのような、投げだしたいのに手を伸ばしているような感覚がよみがえる表現たちでした。
@ザイチ
さん、ありがとうございます。
二律背反のようでいて、それらが合わさって初めてひとつなのかなぁなどと思いながら書きました。