カヌーと意志
きわめて落差のある滝である、
落ちかけている、カヌーのその上には、
なすことのできない男の意志がある、
多くの領土は、男の視界から、山脈へとつづく、
雪解けのころに、発見される遺体はすべて、
氷漬けの精神の形を示し、
そこからゆっくりと、
とけだして、
春の終わりには、床はたしかに、濡れている、
ただしそのころには、村びとたちは、咲く花のこと、
萌え出す山野草のこと、にがみあるその味わいの、
舌の上に感じるそれらは、
落ちかけているカヌー、
やがて夏が近づけば、山羊や羊、いそがしく女たちの仕事が、
滝壺あたりから、虹のように、幾度も立ち上がり、
鹿やうさぎ、やまどりやこまどり、そして、
樹々の花は、すべての意志を近づけようとする、
肉体は立ち上がり、そうした生活を、
拡大して見ようとする、
さらには、成熟する思考の、流麗な形成は、
木材の木肌の、そのきめ細かな、ひとつひとつを、
選び抜き、この夏の船体とする、
そしてまた、汗をながし、選び取る、手斧、ちょうな、かんなの類、
ビールを飲み、星を飲み、風を谷底へと、
果たして「肉体」は、多くの痛みを思い出す、
落下する精神は、すでに未来の攪拌される可能を知る、
それが滝である、
落ちかけているカヌーのその上には、
未来を知り得ない、わたしの自己がある、
しかもその肉体は、女たちの知らないうちに、存在する、
村人の忘れられない記憶として、落ちかけている、
植物は日々成長する、太陽光のもとで、
罠にかかった鹿は、解体されて、腸詰となり、
吊るされて、燻されて、冬へとむかう、
日々は滝のように落下する、
精神も会話される夜も三日月も、
「肉体」とともに、忘れ去られて行く、樹々の葉の色も、
赤くなり、黄色くなり、枝を離れ、地上へと、
カヌーは新しくなり、滝は新鮮となり、
渡された日々の果てから、青年はやってくる、
ビジョンとして、証言として、信頼として、河へと向かう、
鹿たちは河を渡り、彼等の肉体は、もはや冬である、
やがて訪れる、出発の日には、
誰も「肉体の言葉」を青空とは呼ばない、
ナイフを持ち、流れはすみやかに、了解を持ち、
すでにすべては、生きることを告げている、
カヌーはすべる、完全なる流れのままに、
脱出する、それは「肉体」である、
女たちはそれを知らない、
しかも森林の上に、精神の形成される、純粋の時間を、
共に進んで行く、絶対的な存在と言うもの、
山脈は多くの白い雪により、屹立する、
河の上には男の意志が、実現を望む、
ただそれを望む、
カヌーは意志である、
言葉はカヌーである。
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