ダラス

もっとそばによっておくれよ、もっとちかくによっておくれよ、
君のひじは、サルスベリの幹のように、かたく、
夏の花はひざしのなかで、もえる、
エラスムスの思考する世界には、人間の至らなさがある、
けれどいまのわたしには、ひとつの喜びがある、
ねえもっとそばに、来ておくれ、
永遠の分厚い壁が立っている季節、花園の噴水が噴き上がる季節、
開かれたくちびるは何を語り、
語らないくちびるはイラクサのように、
ただ、しのびよる、ゆびのふくらみの、そろそろと、
マキャベリの言葉はいつになく、窓からの光を、まぶしくする、
せめること、それをやめると、せめられること、
ねえ君の体温の、つたわるままに、
しばらくの、ひとときの、あいさつとして、
トマス・アクィナスの時間の観念の、苦しくするいつわりの、
君のひふの時代にあらわれている、
あきらかに触れられる、この世界にそれだけは、
薔薇の香りのように、薔薇の棘のように、
触れて痛みを与えて君は、薔薇のはなびらの、体温である、
やさしく、それぞれの痛みをわけあって、痛みを、
静かな午後の、わたしたちの、アウグスティヌス、
頬から冷たい「ラジウム」の、
髪から牢獄の「光」の、
それらのあふれる現在の、恍惚を、誰に、
うるわしいもの、ただ存在するままに、わたしを求め、
あけ放たれた窓、いつまでも解放された窓、
君はさしづめ、ギリシャの大理石の、イタケーの、
海に沈むあらわな彫刻の、裸体、
トリトンの噴水の、いたらなさを、さだめとして感じる、
わたしにはつまびらかにせよ、
わたしには喜びをつまびらかにせよ、
とらわれて、ともに、とらえられて、
わたしたちは、夏の窓の光に、香る薔薇のしずくを知る、
だからなお、もっとそばにきて、
君よ、いたたまれない、いつくしみのそばにきて、
はなれられない、一輪の薔薇、それは夏の午後の、
痛みそのもの。

投稿者

岡山県

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