継続の為の正義とはなんだろう。
継続の為の正義とはなんだろう。
幾度もみてきた繰り返しの中で世の中にぽっと出の若い新人が老害を排除して楽しい公園を作りたくて年老いた浮浪者を狩ることにはその作為の最中には躊躇なく反省も自戒もなく、また生きつづける為に尊属の爺婆を母親を山に捨てに行かなくてはならなかった村人には悲しみしかない。犠牲をともわない継続はあり得ないというカッコつけた説明はだいたいいつも為政者側の弁であり、自己中を含めたテロルも含めた継続という発想は映画の見過ぎにすぎないのだろう。言葉の沸騰点ではいつも生き死にが紅白が混じりあい今回も何も言えなくなる
真の悪
やり込めないで
落とし込み
自業自得と
嘯く(うそぶく)君ら
この世界が逃げ場のない小さな島国しかなかったら
敵にも塩を贈ります精神衛生上の理由で判官贔屓も
大切なのですこの地球(テラ)は小さいのですから
サクラが咲くなかでイギリスの政治学者サクワ氏は
ウクライナ戦争が起これば人類が生き延びられるか
どうかはわからないといった。
私の神経も麻痺している。
太郎氏は
漫画好きなの
平明に
紅白つける
歌合戦
コメント
ほんとうの正義って何なのだろうか、と思ってしまいます。例えば例えばですが、自分(たち)に都合がいい「正義」って何? って、私は棚に上がってこれを言ってしまっている。ふふ。こういう私はずっと前から既に狂っていますけどね。
まあ、正義って突き詰めると 分からなくなると思うんです。それに人間世界は単純な面もあるだろうけど、基本的には複雑に出来ているものではないでしょうか。だから、その時その時に、自分(たち)の信じる正義を行うしか(しか)ないのかも かもしれません。さて?
この詩は、私には難しいのですが、客観的な面もあるような気がするので好きです。そして、この詩には詩のエネルギーがあると感じます。
ほんとうの正義ですか。難解ですよね。勉強している若い人の描く
理想主義ではない(ぼくは良いと思うけど)、形だけの正義でも
継続のために利用してしまうのは、令和のSNSの今の世の中では
見え透いてしまうのかと。文のテーマは「継続」だったんだけど、
ワンクッション置いて。こしごえさんのコメントから、ならば、
改めて、継続の為の「正義」ってなんなのだろう。なんのために
日々、生きているのだろうと思ってしまいます。難解ですよね。
山上徹也の行動は有為を超えて無為になってしまっていて、本来、
プロの詩人が言葉で語るべきが理想なのに、みんな、ポンコツの
爺様婆様だらけになっちまって、若い詩人が居ない世の中なのか
と感じないでもないのです。ああ、つまり民主主義の危機以前に、
ネット世界において詩人の居なくなる空白の時代の到来のように、
上手く言えないけど、無為の行動はテロルも超えてしまう悲しい、
悲しい世界が既に始まっていたのかな。なんて思ってたんだよね。
なんてね