時間と空間は相対的、自我も相対的
時間と空間は相対的
アインシュタインは
相対性理論に 気付く前に
時間と空間の相対性に気付いていたはず
実感として 解っていたはずだ
微分積分も 相対的だ
ニュートンも 微分積分に
気付いたなら 相対性理論に
何故 気付かなかった?
音の世界も相対的
音が 大きいか 小さいかは
素人には 絶対的には 解らない
普通の 人にとって 小さな 音でも
ハイ センシティブ パーソンの方には
うるさ過ぎると いうことが ある
試しに 無声音で 喋ってごらん
本当に 小さな音だ
声帯が 振動していないから
まったく かすかだ
その後で 有声音で 喋ってごらん
大きすぎる 自分の 声に
びっくりするから
映画やドラマの効果音も相対的だ
聞こえると思えば 聞こえるけれど
意識しなければ 気付きもしない
ニュースの映像も相対的
内容に合うような モンタージュの
映像が 映っているだけ
あれは リアルな 現実の 実況ではない
詩も相対的
中原 中也の詩でさえ 相対的な言葉だ
しかし 中也の天才性は その詩の中に
絶対的な 感動を 封じ込めている
自我も相対的
モーツァルトは 交響曲を創る時
一瞬で 交響曲を 初めから終わりまで
聴けたと 言われている
それを 楽譜に 落とすのに 数時間を要した
天才は それが できる
私も 時々 何かに 気付くことがあって
「あっ」と 思うが 馬鹿なので すぐに 忘れてしまう
あれを覚えていて 書けたら いいのに
言わゆる「ひらめき」というのは これだろう
しかし もし 私が 天才なら すでに 狂って いただろう
空間は 時間と ともに 動く
私が 歩くと 時間の 経過に 伴なって 空間が 動く
私が 佇むと 空間の動きが とまり 時間だけが 動く
私が 疲れて 歩くのが 遅くなると 空間の動きが 遅くなる
私は 空間の 動きが 遅くなった ことで
自分の歩くのが遅くなったことを 知る
自分が 疲れたのを 知る
私は 訳が 解らなくなって キョトンとする
じいさんが 並木道で 立ち止まって キョトンとしているのは
滑稽だ
ユーモラスであるかも知れない
しかし ユーモアにも 才能が 必要だ
私は 相対的に ユーモアの才能が ない
私は よく 尿意を 感じたとき
尊王尿意(攘夷?)と 言う
妻は 必ず 怒る
中二病だと 言う
こんな 愚劣な ダジャレを 言う おじいさんは いない
私は 反省している
「私」は相対的な時間の中で 老いてしまい
相対的に 悲しい
相対性は 人間の 宿命だ
だから やっぱり 時間も空間も自我も 相対的なのだ
絶対的な 存在の 静寂と 凍結を
「私」は 今日も 恐れている
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