この冬のわたし

この冬のわたし

素敵にピリオドをうつ
冬のわたしは、こおりのように
刺さった槍は、抜けそうにない
ゴールの前の静けさ、のように
わたしは冬の全面に立つ
おごそかなシルエット、山は完璧な深海魚
それからさんさんと気球が登場する
乾かしておいた、ピタゴラスの定義が
乾燥機の中から現れる、そして語るには
ヒドラもしくは、ラビットとしての
中空の愛憎劇であるとしよう
わたしの冬は始まったばかりだ
ヘルソンの最低気温、こおった感情は
もはや冷凍の憎しみとも呼ばない
ハンガリーの国境ふきんで、気球は空に凍り付く
わたしは絵画の中に棲む、バイキング
そこから手を伸ばしても
ハルキウの赤い尻尾には届かない
さんざんなあかるさで、夜を語ろうか
君たちの手ははるかに冷たくなるだろう
一枚の紙から、ロジックは始まる
そこでは水牛の皮が干されているのだ
地下の防空壕の冷たい床に
ダンボールを何枚も敷いて、それでも
冬のわたしはここにいる。

投稿者

岡山県

コメント

  1. 冬の光景、情感、触感が、どこか形而上学的に語られている。そんな印象を受けました。
    ハンガリーの国境ふきんで、気球は空に凍り付く/わたしは絵画の中に棲む、バイキング
    このフレーズ、いいですね、惹かれます。

  2. ありがとうございます、まったくこれらの人間の戦いに関与せず、ただ詩の言葉として利用していること、しかしまた生きている人間として、冬の寒さを感じること、ひそかに、ただひそかに、それを感じる冬です。

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