くつした

くつした

もうそれは我慢できないくらいに
新しい精神と感覚でもって語る
孤独の天上から九州を見る時
上でもなく下でもなく
上昇でもない落下でもない
ただ離れている、街から世界から存在から
もうそれは一人なのだ
ここで一行アキ、にしたい
別のことを言いたい
何について言いたいのかわからないが
詩のことを考えている
もうそれは我慢できないくらいに
問題がいっぱいあるだろう
それは解決しなければならない
誰がするのか、わたしがするのだ
しっかりと前を見て問題を見るのだ
ところでそれはどんな問題なのか
言葉にしてみると、どうなるのか
実に問題を語る言葉がない
詩を語る言葉はあるのに
問題を語る言葉がない
噴水はあるのに、噴水を語る言葉がない
雪は降るのに、水になって雪は流れて行く
はだしのわたしは、くつしたをはく
くつしたは汚れて、洗濯される
濡れたくつしたは、吊るされる
陽が当たる、風が吹く
水分が蒸発する
くつしたは乾く
乾いたくつしたはタンスに入れられる
十二月のある日、わたしはタンスから
くつしたを取り出し、それをはく
問題はどこへ行った
わたしは呆然としてパン一枚をトースターに入れる
わたしは呆然としてバターをのせる
わたしは呆然としてパンを食する
わたしは呆然として――
答えのない問題を語る言葉がほしい
問題はそこにあるのにわたしには
もうそれは我慢できないくらいに
新しい精神を持って、新しい感覚を持って
語られなければならない
まるでそれは詩のように
詩の世界のように
詩そのものの
問題なのだ。

投稿者

岡山県

コメント

  1. 我々がシンプルであれば、クッキーは我々である、そして見開かれた眼は、すでに噛み砕かれた世界の、いたわりであるのかも、くつしたの中にいれて、並行する宇宙の、原子からなる甘さを。

  2. 言葉が軽快に進んでいますね。読んでいて楽しくなりました。

  3. ありがとうございます、軽く読めるものも、あげていきたいですね。

  4. 坂本さんの詩はつねづね哲学的だと思っています。坂本さんは言葉の意味から自由でありたい。そしてそれは詩の世界の中でなされます。くつしたとは何か。例のあの足というものに履く例のあれか。そうかもしれないしそうでないかもしれない。しかし詩の世界は実は現実世界の一部なので、実は現実世界のなかにおいても言葉は自由であったということがアプリオリに知覚されるのです。そのようなことを考えていたのですが、坂本さんの書かれた「ポエコラ」を読ませて頂いたところなるほどそうであったかと合点がいきました。

  5. たかぼさんの知的世界に深くひかれつつ、わたし自身は知の無力を強調すべきと、やたら「自由」をふりまわします、そのためコンポジション、そしてコンポン的アトラクション、証拠隠滅の片棒かつぎ、カヅラ橋のゆれるように、ふたしかなみぎあし、ひだりあし、知的クラッシュへと、まだまだこれから、コレカラション。

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