永遠が見た夢

終わることが出来る幸せを思う
終わることが出来なければ
苦しみもずっと続くのだ。
私にも一つ一つの終りがあるから
次に行ける。
けれども
終えられないこともある
こういう場合
どうするか
どうするかはこの場合も
さまざまだろう
ひたすらガマンするとか
気にしないように努力するとか
これも運命だと覚悟したり
仕方ないと諦めたり
これも天からの授かりものだと
思ってみたり、相談したり
いろいろだ。
それぞれの
小さな終りを思う
一日の終りを思い、ごちそうさまという
終りを思う。
それぞれの
大きな終りを思う
十年の終りやごちそうさまという終りを思う
そして、死という最後を思う。
ある一人の死から
ある他人の人生に影響があり
始まる物事があるかもしれない。
終わることは必ずしも
悲しいことだけではないのである。
終わること
終わることから始まること。
今日もごはんは
おいしいな

投稿者

コメント

  1. 「終わる」ことで一線を引くことは
    生きていくうえでとても大切なことだと思います。
    ただ、それは「続いて」しまうことが
    あまりにも多いということの裏返しなんですよね。。。

  2. @nonya
    nonyaさん コメントありがとうございます。
    nonyaさんが そう言ってくれて ありがたいです。ありがとうさま。
    うむ。nonyaさんが言ってくれたことを思ってみると、そうですねぇ、「続く」ということが多いのでしょうね。うん。
    でも、ほんとうの永遠や終りってどういうことなのか。宇宙を生んだのは神か?それとも宇宙の親の宇宙か?でもその宇宙の大本を生んだのは何か?神が在るとした場合、神を生んだのは何か?永遠の謎かも。
    ある種ある意味ある次元、終りがあることは希望かもしれません。ん。

  3. 火の鳥を思い出しました
    力強く、乗り越えて行くことだけが答えではなく
    諸行無常
    全てがそれぞれのありのままがあり、テイがあるのだと思います
    それは悲しい事だと考えたりしますが
    ビール美味しいから
    よし!

  4. @那津na2
    那津さん コメントありがとうございます。
    手塚さんの火の鳥、は見たことありませんが、火の鳥?うん、なんだか凄そう。その火の鳥をこの詩から思い出してくれて、うれしく思います。那津さんがそのように読んでくれて ありがたいです。ありがとうさま。
    テイとはなんでしょうか。はて? まあいい。
    諸行無常ということは時々思いますね。ずっと前にある先生から、楽しければそれでいいんじゃないの、と言われたことがあります。うん、極最近も時々そう思って、結局のところは楽しけりゃいいよなあ、とも思うことがある。でも、突き詰めていくと楽しいことが生きるための支えなのかな、とも思います。まあ、日常も含めたさまざまなことを楽しめるようにしたいというのもある。悲しい時は悲しんで、その悲しんでいる自分を客観視して楽しむ、とかね。まあ、言うは易く 行うは難し、なんですが、なんでも楽しめればすてきでしょう。うん。
    那津さんはビール美味しくて良いですね。私はアルコールはお盆と大みそか位にショットグラス一杯のビールを飲む位です。なので普段は炭酸水とか自販機で缶コーヒーとか飲んで楽しんでます。^^

  5. 終わることから、始まっていく。興味深い視点です。ちいさな終わりを繰り返しながら、人は少しずつ日々を歩いているのかもしれませんね。

  6. @長谷川 忍
    長谷川さん コメントありがとうございます。
    終わることから、始まっていく。そうなんだと思います。長谷川さんが、その点を興味深い視点と言ってくれて ありがたいです。ありがとうさま。
    うん。そうそう、ちいさな終りを繰り返しながら、人は少しずつ日々を歩いているのでしょう。永遠という考え方は、ある場合では、好きかも。たとえば、「永遠に魂は一緒だよ、永遠にありがとうだよ」という思いはですね。でも、永遠の命をこの肉体で得ることがあったら、苦しいと思います。あと、一日が終わるのがいいのだと思う。終りには悲しい終りもあるでしょうけどね。悲しいことは悲しむしかないし、その時は悲しもうと思う。無理して悲しいのを悲しくない、なんていうのは不自然だと思います。終りは終り、それでいいと思います。

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