1829
1、でしたら特別な道を行きましょう
間隔を開けて整列をして、特別な木立が道の両側に立つ
暗算で計算するのは苦手ですから
表面からはシンボルが立つ
二歳の子供があそびつづける草原に光があふれる
河でもいいし、水遊び場でもいいから
カマス、フグ、ホタルイカ
真実の魚たちが遊泳する本当の海が手を振る
8、さらにはしがらみのある現実の言葉が裂ける
旅の人よ、旅の終わりの現実の人よ
少なくとも崑崙山脈は雪をかぶり
いまからの出発は死を隣にするようなものです
しわがれた鱒の腹から、植物の芽が伸びている
いざなわれて、歩き出した風景のあるがままに
諸君は天空を飛行する鷲のようなもの
暁へと襞を広げる肉体の子供
2、たらちねの由緒正しき血判状を持ち
その草原の武士たちの集まりて言う概略は
ひさしい限りの望郷のソングである
ウラジミールの言葉のロケットが火星へと飛ぶ
さわがしくともこころさびしくとも
回転扉の夜光虫がもだえつつ言う
じじばばの言葉はすでに夜光液である
草に落ちれば草の葉は光る
9、であれば特別な計算をいたしましょう
それは宇宙を通過する幻想の宇宙船であり
カジカガエルの片足から始められる宙返り
頂きの回転する光源は陽子の塊
とてもではないが、とてもではないが、回転する
1829、1829、1829、1829、1829、
特別な時間が回転する
道はすでに回転する
どこまでも数字であるはずのわたしの
個体。
コメント
結局、謎の数字1829とは何だったのか、詩人それぞれの解釈で投稿されていますが、謎に謎以上のものなどないのかもしれません。ただの数字の羅列、ただの言葉の並び、ただの自分のアイデンティティである限り、それ以上何が必要なのか、という風に思いました。
ふだん自分が自由に書いていると思っているのに、意味の無い数字には、とてもこんわくしてしまうわけです。意味が無いことは恐ろしい、しかしそれに意味を与えるのは、もっと恐ろしい。意味がないことも神の心であると思考するのです。
1,9で特別と道が出てきてリンクしているのだろうなあ(と思いました。)
“二歳の子共…”
“じじばばの言葉はすでに夜光液である”
が好きです。
フグは釣れると膨らみます。
特別な時間が回転する
道はすでに回転する
ここが特に好きな詩行です。