かぐや姫の物語り
かぐや姫の物語り
竹取物語は全国に津々浦々たくさんあるけど富士山にある伝説のかぐや姫は、
月には登らない。そのかわりに富士山に登って帰ってこない物語り
(旧)吉原市(江戸の吉原の名前の元となった場所)には、竹取物語関連の地名
がたくさんあり、かぐや姫を惜しんで村人達が泣いたときに出来たとされる
潤井川は今も豊かな水が流れていた。
富士市のかぐや姫ミュージアムに行ってみると、昔、富士山へ、人柱として
女性を送っていたという(よくある)事実を軽く美しく語っていただけだった。
もちろん、当時の村人の精神の安定としても、みんな優しい村人でしたと
しておくのが良かったはずだろう。
その昔、遠い村の人々は「何々郷の何亮の長女が生け贄にされた」などの
ほんとうと噂の空気の中を生きていて、大人たちはみんな知っていたけど、
子供たちにはかぐや姫の話をしていたのだろう。
しかし、選ばれて、身内を連れていかれた家族たちは、断腸の思いだった。
一泊二日の旅行で、富士市富士宮市にある食事処のサービスの酷さには、
もう呆れ返ったけれど、地元民のちょっとした仕草や雰囲気から優しい人が
多いと感じたのは、人柱制度が無くなっている現代人たちは、一生を子供の
ままでいられるからなのかもしれないと思う
ここのとこはいつの日か時間のある時にでもまとめておきたいテーマです。
あるいはよそ者の私が今年の生け贄だったというオチでもあったのだろうか。
(だったらとても嬉しい限りなのに)
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