これも運命、天の自由
本当のところは
誰にもわからないだろう
これが運命かどうかだなんて。
「運命」とは、広辞苑によれば、
「人間の意志にかかわりなく、身の上に
めぐって来る吉凶禍福。
それをもたらす人間の力を超えた作用。
人生は天の命(めい)によって
支配されているという思想に基づく。」
とある。本当のところが
この通りならば、
時々見掛けるような
「運命は自分で変えてみせる」
なんていうのは大きなまちがいだ。
私としては、
運命を信じる
運命というか
因果的必然の世界を信じる
つまり「自然」ね。
こう思えばだけど、私には
自由が無くて最初から私の
全ては決まっていることになる。
でも待てよ、
最初から全てが決まっていると
したらさ
これは天の自由だな。
とはいえ、だからと言って、
何をしても良いとしては
つまらないことになっちゃうね。
まあ、つまらないことも
天の自由の内なんだけど
どうするこしごえ
私には悪い部分も善い部分もあり
出来るだけ善く生きたいと思う
そして出来ることを一つ一つしていく自分の命に従い
花が咲くように
コメント
こしごえさんの詩に通底するテーマだなぁと思いながら読んで行って、「どうするこしごえ」のところでなんともユーモラスな感じで微笑んでしまいました。大河の「どうする家康」みたいですね。
最後に「花が咲くように」と締めるあたりもこしごえさんらしいなぁ。
感想短詩
運命はうめぇ酒名とさかなかな
近江商人(あきんど)吟遊詩人の心知らずに酒を呑む
@あぶくも
あぶくもさん コメントありがとうございます。
ふふ、「どうする家康」は初回から毎週楽しみに見てます。テレビが、ある時期から大嫌いになった私ですが、(オリンピックの以外は)ずっと大河ドラマだけは進んで見ています。正直に言えば、真似たんです。ぷふぃ。←これも誰かの真似ですが。。(汗。
うむ、花が咲くことも、もしくは、咲かないことも、運命ではなかろうかと思います。咲く、を生と死に置き換えてもいえることかも。つまりは、自分にとって悪いことも運命であるということです。ああ、うん。
でも、最終行も私らしい、と あぶくもさんに言われることはありがたく思います。
あぶくもさん ありがとうさま♪(^-^)
@足立らどみ
らどみさん コメントありがとうございます。
らどみさん 感想短詩をありがとうさま♪(^-^)
では、らどみさんのその感想短詩へのお返しの短詩二編です。
うんめぇだけが運命じゃないぽん
知らぬ間(あいだ・ま)にうまくなる酒
うーん、つまらない場合はすみません。お返しって苦手なんです。とほほ。
でも、らどみさんが少しでも楽しんでくれたら幸いです。
@あぶくも
あぶくもさんへ追記。
あ、真似をするのは、誰でも知っているような物事くらいです。でも、全くといっていいほど真似はしません。今回のようなこういった真似はもしかしたら今回が初めてかも。今回の「どうするこしごえ」は「どうする家康」の真似ですが、これは例外で、ある意味ウケ狙いもあったかも。かもね、かーもね←言ってるそばから真似してる。。^^;
まあ、上記の私のコメントもそうですが、悪ノリが過ぎたかもしれません。すみません。。。
ただ、流れの中での言葉にはちがいありませんので、その辺は分かってくれると助かります。拝礼
出来ることを一つ一つ
まさにその一言に尽きると思います。
一つ一つの丁寧に積み重ねたものだけが最後まで残るのだと思います。
あと。。。悪ノリも「天の自由」なんだから、良いのではないでしょうか。
@nonya
nonyaさん コメントありがとうございます。
うん、そうなんですよねぇ。そこをnonyaさんが汲んでくれて ありがたいです。ありがとうさま♪(^-^)
でも、逆を言えば、出来ないことは出来ない、ということでもあるんですが。だからこそ、出来ることを一つ一つしていくしかない。
うん、nonyaさんのそのような お心づかいが嬉しいです。
ああ、悪ノリね。悪ノリは極たまにしかしないのですが、それは相手にしてみれば つまらないことかも かもしれません。
でも、nonyaさんが、そのようにフォローしてくれて、とても嬉しいです。そう、ある次元では、運命を信じる私にとって、これも運命 天の自由なんですけどね。ふふ。ありがとうございます。
運命には、逆らえません。もしかしたら、生まれた時から人生はすでに決まっているのかな、などと思い悩むことすらあります。でも、だからこそ、出来ることを一つ一つ、ですね。それは信頼に繋がっていきます。…花が咲くように。
@長谷川 忍
長谷川さん コメントありがとうございます。
そう、「運命」が、広辞苑に書いてある通りの事であったら、運命には逆らえませんね。もしそうならば、今、ここでこうしている事も運命の内です。
もうね、何から何まで全てが決まっていることであるとしたら、ある意味、投げやりになっちゃいそうなんですが、そこをとどまって考え直すことも運命なのかな、と思っちゃう今の今です。
この詩の中でも言ってますが、これも運命 天の自由、だからって何をしても ゆるされるワケではない。しかし、それは人間だけのルールですね。
運命、か。自分でこの詩を書いておいて何ですが、この詩の冒頭で言っている通り「本当のところは 誰にもわからないだろう これが運命かどうかだなんて。」なんですよね。そこで、長谷川さんも同感してくれた通り、出来ることを一つ一つしていくしかない。それも、出来るだけ善く生きながら。
長谷川さんのお心づかいに感謝します。ありがとうさま♪(^-^)
@あぶくも
@足立らどみ
@nonya
@長谷川 忍
あぶくもさん
らどみさん
nonyaさん
長谷川さん
皆様のお心づかいに深く感謝いたします。ありがとうさま♪(^-^)
運命ってどうなるかわからない、漠然としたものですけど、
それを「天の自由」というすがすがしい発想に変換されているところが、感慨深かったです。
「どうする」との自問に「一つ一つ花の咲くように」と丁寧な美しい生き方に集約していく流れも素敵でした。
@ザイチ
ザイチさん コメントありがとうございます。
はい。運命ってそうですよねぇ分からない。そうそう、天の自由、なんですよねえ、うん。その次元ではこうしてこのコメントを書いていることも天の自由の内。
ザイチさんがこの詩からすがすがしさなどを感じてくれて、それをこうして私に伝えてくれたことが ありがたいです。ありがとうさま♪(^-^)
ふふ。ああ、「美しい生き方」というのは、この詩の話者には当てはまることかもしれません。でも、私という人間は、醜い人間性も持っています。あ、自分で言うのもなんですが、(こころの)美しい「部分も」も少しはあるとは思っていますが。ふふ。
ザイチさんがこの詩のその流れを素敵と言ってくれて嬉しいです。うん♪